うら金と、政治の文化―文化であれば、それは良しとされるのか

 うらがねをもらう。政治において、それは文化だ。うら金を得ていた政治家は、そう言ったという。

 いわば文化のようなものなのが、政治におけるうら金なのだろうか。だから許されるのだろうか。

 文化を、言い換えてみたい。言い換えてみると、慣習とできる。また、事実ともできる。

 慣習とは、他律(heteronomy)だ。何らかの強制にしたがって行動することである。

 強制がない。そうであればいちおうは自由である。消極には自由であるのをしめす。積極には定義づけできづらいのが自由だ。一義には定めづらくて、多義性やあいまいさを避けづらい。

 与党である自由民主党では、パーティー券を売ることが政治家に強いられていたという。政治家はパーティー券(一枚が二万円だという)を売らされていた。多く売ったら、そこから見かえりとしてうら金を得ていたという。表に公開されない不透明なお金である。

 その政治家が、自分の意思でのぞましいと思うことを行なう。自分の意思によってのぞましいと思うことを行動として行なうのは自律(autonomy)だ。自民党でなされていたのは、自律ではない。自律は否定されていたのである。政治家にパーティー券を売らせていたのだから、他律のあり方だったのである。

 そのことが文化になっているのであれば、それは良いことだ。そのようには見なすことはできづらい。みんながやっているような文化なのであれば、それが正しいことなのだとは言えそうにない。たとえみんながやっていて文化のようになっているものなのだとしても、それが悪いことである見こみがある。

 何々であるのは事実(is)だ。そこから自動では、何々であるべきの価値(ought)はみちびけない。事実から価値を自動でみちびいてしまうと、自然主義の誤びゅうにおちいってしまう。

 自民党の中では、主としてその最大の派閥(はばつ)の安倍派が、いちばんうら金をやり取りしていた。安倍派の中で、辺境者に当たるような政治家がいなければ、うら金のことを問題化するのはできづらい。

 辺境者や周縁(しゅうえん)者がいなくて、中心に近い人ばかりだと、色々なことにぎもんを持ちづらい。集団の思考(groupthink)になってしまう。帰属(identity)はあっても個性(personality)がない。自分が属する派の中に埋没してしまっていては、派がかかえている色々な悪いことを見つけづらいのである。

 派が悪い文化に染まってしまっていたら、その派の中に埋没するのは良いことではない。辺境者になるようにして、派がかかえている悪いところをどんどん見つけ出す。そうしないと、その派は悪いままでありつづけてしまう。どんどん悪くなっていってしまう。

 どんどん悪くなって行ってしまうのを防ぐ。民間のトヨタ自動車では、改善をなすことが良しとされている。自民党の安倍派は、トヨタ自動車を見習うようにすればよかった。トヨタ自動車のように改善をすることがなければならなかったのである。改善をどんどんやって行かないと、派の悪いあり方は改まることがない。

 悪い文化であったら、それを自律によって反省するようにしたい。安倍派は、他律によるのはあっても、自律によるのが無い。そこがわざわいしたのだろう。自律を否定してしまっているのがわざわいしたのである。

 いまの日本の憲法では、自律をよしとしている。安倍派(自民党)は憲法を否定しているから、自律もまた否定している。他律によることになり、何らかの強制に従う行動しか許されない。政治家が、何らかの強制に従った行動をさせられることになる。

 うら金のことから見えてくるのは、憲法の値うちだろう。憲法の大切さが浮かび上がってくる。安倍派(自民党)のように憲法を否定してしまうと、自律もまた否定することになり、他律にしかよれなくなる。集団の中で悪い文化があっても、その文化によらされてしまう。悪いことをやることを強いられることになり、こばめない。

 慣習によるだけではなくて、反省ができるようにして行く。自明性の厚い殻(から)にひびを入れて行く。自明性によるのでもなく、そうかといって疎遠な外部(無関心)にいるのでもないようにして行く。

 反省することができるようにするためには、憲法を良しとすることが益になる。自律によって、自分の意思でのぞましいと思う行動をとることができるのでないと、悪い文化を正すことはできづらい。

 悪い文化では、父権主義(paternalism)があるけど、これは他律のあり方だ。自律(personal autonomy)の否定である。安倍派では、安倍晋三氏が父のようなものであり、父権主義のあり方が強そうだ。安倍氏が超越の他者(hetero)になり、下の者を動かす。少なくとも、安倍氏(父)には誰もさからうことができず、批判することもできない。父権主義や権威主義によっているから、ふけんぜんなあり方だ。

 参照文献 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『憲法という希望』木村草太(そうた) 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『法律より怖い「会社の掟」 不祥事が続く五つの理由』稲垣重雄 『トヨタ式「スピード問題解決」』若松義人 『思考のレッスン』丸谷才一(まるやさいいち) 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『倫理学を学ぶ人のために』宇都宮芳明(よしあき)、熊野純彦(くまのすみひこ)編