説明の責任と政治家の役割:うら金をめぐる疑念の払しょく

 説明をするべき時が来たとするならば、説明を行ないたい。政治のうら金(がね)のことで、政治家はそう答えている。

 うら金のことを政治家が問われて、すぐに答えるのでなくてよいのだろうか。いますぐに説明せずに、しばらく時間がたってから説明するのでかまわないのだろうか。

 説明の責任(accountability)を負う。政治家はその責任を負っているのだから、うら金のことで問われたら、説明をすぐに行なう。しばらく時間がたってから説明するのだとよくない。

 うら金のことがいまとり沙汰されているまっ最中だ。与党である自由民主党の派閥(はばつ)に、検察が強制に捜査をかけている。党の中の最大の派閥である安倍派が、もっともうら金をつくっていた。

 うら金のことから見えてくるのは、日本の政治家の説明の責任の欠如だろう。色々に見られる中で、一つにはそれが浮きぼりになっている。

 説明することへのやる気がある。動機づけ(motivation)だ。政治にかぎらず、仕事では、何かを伝える技術が欠かせない。何かを伝えるのが下手なのは、仕事ができないことをしめす。

 日本の政治家は、えてして仕事ができない。きびしく言えばそうできる。日本の政治家は、説明することへの動機づけが低いからである。これは必ずしも政治家だけが悪いわけではない。

 報道が、政治家の言葉をきちんと評価づけしない。日本では政治において言葉が必ずしも評価されないのがある。はら芸の国なのが日本だ。腹による文化のありようだ。言葉を抜きにして、わかり合う。理よりも和のまとまりを重んじる。そんたくし合う。空気を読み合う。

 動機づけが高いか低いかがある。それがものを言う。日本の政治家は、説明することへの動機づけが低いから、政治の創造性が低くなってしまう。三つの点が創造性ではあり、動機づけと技術(skill)と資源(resources)だ。

 M と S と R にはお互いに相互の作用が働くから、動機づけ(M)が低いと、全体の政治の創造性が低くなってしまう。日本の政治は、けっして創造性が高いとは言えそうにない。きびしく言えばそうとらえられる。とりわけ説明することなどにおける M と S と R の三つが低いからである。

 税では、日本の国民は、税金をはらう義務をおう。国民は税を払わないといけないけど、政治家はちがう。政治家は脱税してもよい。税を支払わせる、徴税(ちょうぜい)の権利をもつのが国だ。政治家もまた、徴税の権利を持つだけであり、納税の義務は負わなくてよい。日本の政治ではそうなっているところがある。

 税をしはらう義務を負わされる。その点では、国民と政治家は同じでなければならない。国民が納税の義務を負うのなら、それと同じように政治家もまた納税の義務をしっかりと負う。そうでないと、国民ばかりが苦しむことになってしまう。政治家は楽だ。

 説明の責任では、どういう倫理観を政治家が持っているのかをしめす。社会関係(public relations)でもそれがいる。

 倫理観としては、国民と同じ苦しみを、政治家も負うべきだ。国民が税をしはらうので苦しんでいるのなら、それと同じていどの苦しみを政治家も負う。政治家だけが楽をするのはよくない。それだと、政治家は国民を代表(representation)することができづらい。

 うら金のことについて説明するのがいるのとともに、それと同時に政治家は倫理観をしめすべきだ。政治家は脱税をしてもよいのかよくないのか。国民は苦しむべきだけど(苦しんでもかまわないが)政治家は楽をしてもよいのか良くないのか。そういったことをはっきりと言葉でしめす。

 説明をしなくてもよい。政治家が追及されても、政治家が説明の責任を負わない。そうなってしまっているのが日本の政治だろう。そこを改めるようにして行く。

 たとえ追及を受けたとしても、政治家は説明の責任を果たさないでもかまわない。倫理観としてそれは適していないものだ。その適していないことが、日本の政治では通じてしまっている。うら金のことでそれが表れているのがある。

 いままでの日本の政治のやり方は、説明をしなかったり、倫理観を示さなかったりするのがまかり通っている。これから先は、それは通じそうにない。少なくとも、これまで通りには通じそうにない。しっかりと説明の責任を果たす。社会の関係をなして行く。そうしたまっとうな政治に転じて行く。

 政治のあり方を転じることがいるのがいまの日本だろう。信頼ができるような政治に転じて行く。いまのところ、不信や猜疑(さいぎ)を持たざるをえないのが日本の政治だろう。ぎゃくに、いまの日本の政治を信じてしまったらちょっとまずい。人それぞれではあるけど、とても信頼することができないあり方に日本の政治はなっている。政治の不信が根づよい。この不信はそうかんたんに払しょくすることはできづらい。

 参照文献 『「説明責任」とは何か メディア戦略の視点から考える』井之上喬(たかし) 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『大学受験に強くなる教養講座』横山雅彦 『これだけは知っておきたい 働き方の教科書』安藤至大(むねとも) 『朝鮮語のすすめ 日本語からの視点』渡辺吉金容(きるよん) 鈴木孝夫 『韓国は一個の哲学である 〈理〉と〈気〉の社会システム』小倉紀蔵(きぞう) 『創造力をみがくヒント』伊藤進