安倍元首相との不変の結びつき:安倍派の名前を変更する(無)意味

 安倍派と言うな。安倍派と呼ぶべきではない。うら金(がね)のことで、悪いものとして安倍派がとり上げられている。安倍晋三元首相を悪く言うことになっているから、安倍派とは言うべきではないとの声がおきている。

 自由民主党の最大の派閥(はばつ)である安倍派を、どのように言うのがふさわしいのだろうか。

 たしかに、実体とその名前を区別することがなりたつ。実体について、必ずその名前で呼ばなければならないとは言い切れそうにない。差異性がある。名前には、必然性があるよりも、気ままさによる恣意(しい)性があるのである。

 かっことして実体があるのではない。構築主義(constructionism)からはそうできる。実体(実在)はなくて、言説があるだけだ。安倍派であれば、実体として安倍派があるわけではない。安倍派の言説があるだけである。

 関係し合う派があり、それぞれの派は実体としてあるわけではなくて、派どうしの関係の網の目(network)があるのにすぎない。一つの派は、網の目の結節の点だ。構築主義からはそうとらえることがなりたつ。

 悪事、千里を走る。悪い知らせはすばやく広まる(Bad news travels fast.)。良いことは限定化される。あまり知られづらい。悪いことは一般化しやすい。すぐに広まって知れわたりやすいのである。

 その実体をどう呼ぶのかは、交通論でいえば、逆方向の単交通だ。逆方向の単交通は、受動である。

 交通論の様態(mode)では、その実体がどのように呼ばれるのかがある。逆むきの単交通になる。安倍派のことを安倍派と言うのは、実体としての安倍派が安倍派と言われることだ。実体としての安倍派へ、名前が、一方向(単交通)で向けられるのをしめす。

 ほかの名前で呼んだとしても、実体はあまり変わらない。名前が変わったとしても、実体のありようが根本から変わるとはかぎらない。あくまでも実体はそのままであり、名前だけが変わることになることがある。

 実体としての安倍派を見てみると、まだうら金のことが知られる前のときがある。うら金のことが知られる前であっても、実体としての安倍派は、うら金をつくりつづけていた。裏でこそこそと、うら金をせっせと作りつづけていたのが安倍派だ。実体としての安倍派は、うらで不透明な政治のお金を作ることをうながしつづけていた。

 事前と事後を分けて見てみると、うら金のことが知られる前に、安倍派と呼ばれていた。いまとなっては、そこにおかしさがある。うら金のことが知られた事後になって安倍派と呼ぶなというのであれば、事前においても安倍派と呼ぶべきではなかったのである。(うら金のことが知られる前の)事前には安倍派と呼んでもよくて、事後には良くないといったことでは、つり合いがとれない。

 ちがいである差異性の点からすると、名前が変われば実体もまた変わるとできないではない。そのさいに、もともと安倍派と呼ばれていたのがあるから、それを組み入れると、安倍元首相とは完全に縁が切れるとは言い切れそうにない。

 名前を変えたとしても、安倍元首相とは完全に無関係になることができるとはいえず、いぜんとして安倍元首相とのつながりがつづく。交通の様態(ようたい)でいえば、かんぜんに関係を切る、つまり反交通にはできづらい。交通をさえぎりづらい。

 関係しつづけるのは、交通の様態では双交通だろう。双方向の交通だ。安倍元首相と双交通なのが安倍派だろう。価値を共有し合う。安倍元首相にぜったいの信頼を置く。

 もしも、安倍元首相に不信や猜疑(さいぎ)を強くいだいているのであれば、安倍元首相とのあいだに反交通がなりたつ。おたがいに価値を共有し合わない。おたがいが持つ枠組み(framework)がちがう。

 安倍元首相との関係の点でいえば、安倍派の名前を変えたとしても、あまり意味がないことかもしれない。元(旧)安倍派といったかたちで、どのみち対象の一面として安倍元首相のこん跡がこく印されつづけることになりそうだ。派閥がもつ一面として、安倍元首相との関係が構築されていることは否定できそうにない。

 参照文献 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『ブリッジマンの技術』鎌田浩毅(ひろき) 『構築主義とは何か』上野千鶴子