派閥と自由主義(liberalism): 政治の闇にひそむ(悪い意味での)共同体主義とは

 良くないものなのがはばつだ。うら金をためこむことがはばつにおいてなされていた。

 与党である自由民主党の派閥(はばつ)で、うら金を作ることがなされていた。そのことを受けて、派閥をなくすことが進められているけど、それでよいのだろうか。

 派閥を政策の集団にして行く。自民党はそうするのだと言っているけど、もともとの派閥についてを範ちゅうと価値にふ分けして見てみたい。

 ひと口に派閥とはいっても、その範ちゅう(集合)の中には色々な価値を持つものがあるものだろう。

 自民党が全体の集合なのだとすると、派閥は部分の集合に当たる。自民党における部分の集合なのが派閥だ。

 類と種にふ分けしてみたさいに、修辞学の議論の型(topos)では、類または定義づけからの議論がある。派閥は良くないとか、派閥は悪いとするさいに、そこで言われる派閥は類だ。

 何々ハ何々である。その文において、何々ハのところが類だ。(文の後ろの)何々であるのところは本質である。何々ハで言われているものの本質に当たるのが何々であるのところだ。本質のところでは、何々ハで言われているものへの当てはめがなされる。性格づけだ。

 類としての派閥があるけど、その中にはいくつもの種がある。類は上位であり、種は下位だ。下位の種を見てみると、中にはそこまで悪くはない派閥もあるだろう。うら金をためこむようなことはとくにやらない。中には悪いことをとくにやっていない派閥もありそうだ。ぜんぶの派閥が悪いことをやっていたとは言えそうにない。

 派閥を政策の集団にして行くのだと自民党は言う。政策の集団についてもまた範ちゅうと価値にふ分けすることがなりたつ。

 政策の集団の範ちゅうだからといって、それがみんな良い価値をもつわけではない。政策の集団だとしながらも、じっさいにはうら金を作ることがなされるかもしれないから、そうであれば悪い価値をもつ。

 修辞学の類または定義づけからの議論で、政策の集団をとらえてみると、政策の集団は良いのだとは必ずしも見なせそうにない。類として、政策の集団であればそれは良いものだとは言い切れず、派閥と同じように悪いことをする見こみが少なくない。

 どういった派閥が悪いものなのか。そう問いかけてみると、派閥の範ちゅうの中でも、大きい集団が悪い。人の数が多い集団が悪い。中心と周縁(しゅうえん)だったら、中心の集団が悪い。

 ぎゃくにいえば、派閥の範ちゅうであったとしても、小さい集団や人の数が少ない集団や周縁の集団であれば、まだそこまで悪くはない。どちらかといえば悪くなりづらいのである。

 あたかも自民党の派閥がすべて悪いかのようにとらえられるのは、日本の国の中で自民党が中心にあるからだろう。中心に当たるのが自民党であり、その自民党の中にあるのが色々な派閥だから、その全てが悪いかのように映る。

 日本の中心にあるのが自民党だけど、その中で最大の派閥だったのが安倍派だ。たんてきに言うのだとすれば、派閥の中でも安倍派がもっとも悪い。いちばん悪い。そう言うことが言えるのではないだろうか。

 安倍派の長だったのが安倍晋三元首相だ。安倍元首相は悪くない。悪くなかった。安倍元首相は(とうぜんのことながら)悪かったのにもかかわらず、むりやりに安倍元首相は悪くはなかったとしてしまっているから、悪さのもとを押さえづらい。悪さのもとをとり逃している。安倍元首相を美化することがいぜんとしてなされつづけている。象徴化してしまっている。

 人の数が多かったり中心にあったりする集団は、悪くなりがちだ。そこを野放しにして放ったらかしにするとよくない。

 人の数が多かったり中心にあったりする集団は、大きな力をもつ。力をもつ集団にたいしては、きびしい批判を投げかけて行く。批判や監視が欠けてしまうと、集団が悪さをしてしまう。派閥が悪さをしでかす。

 自由主義(liberalism)が欠けているから、自民党の派閥が悪さをしでかした。中立な立ち場から判断する思想なのが自由主義だ。自由主義の抑制と均衡(よくせいときんこう)が欠けていたために、共同体である派閥が悪さをすることができてしまった。悪い意味での共同体主義におちいったのである。専制のあり方だ。

 共同体の美徳を重んじる立ち場なのが共同体主義(communitarianism)だ。共同体や共同体主義それそのものが悪いとは言えないが、悪い意味でのものだと専制のあり方になってしまう。

 大きさでいえば、小さいものであるよりも、大きい集団を批判して行く。力をもつ大きい派閥を批判して行く。最大の派閥をきびしく批判して行く。

 目のつけ所がある。小さい集団であるよりも、大きい集団に目を向けて行く。力をもった大きい集団に目を光らせて行く。森と木がある中で、どういう木に目を向けるべきなのかがある。派閥でいえば、ぜんぶの派閥に目を向けるのだと森の全体を丸ごととらえようとしてしまう。そうではなくて、森の中の何かの木に目を向けたほうが効率がよい。意味がある木にとくに目を向ける。

 力をもつ大きい集団を批判することがなされない。批判がなされなかったから、うら金を作ることなどの悪さが派閥によってなされた。自由主義がこわされているのがわざわいしているのである。悪い意味での共同体主義がおきないようにして行く。自由主義をしっかりと立て直すようにして行きたい。

 参照文献 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『思考のレッスン』丸谷才一(まるやさいいち) 『個人を幸福にしない日本の組織』太田肇(はじめ) 『法律より怖い「会社の掟」 不祥事が続く五つの理由』稲垣重雄 『目のつけどころ(が悪ければ、論理力も地頭力も、何の役にも立ちません。)』山田真哉(しんや) 『木を見る西洋人 森を見る東洋人―思考の違いはいかにして生まれるか』リチャード・E・ニスベット 村本由紀子訳