悪い宗教の集団と、(これから先に)関係しないようにすれば、それですむのか―関係と、関係の主体のちがい

 関係を、きっぱりと絶って行く。(悪い宗教の集団と関係していたことは)記憶にはない、と言いつづけていたのが与党の自由民主党の政治家だ。

 記憶にないと言いつづけていた政治家は、これからは、韓国の新宗教(旧統一教会)とは関係しないようにするのだと言っている。

 これからは関係しないようにすることよりも、記憶の力の低さを何とかするほうが、よりいることかもしれない。政治家が記憶の力がないのだと、いくらこれから先に関係しないようにするのだとしても、それをすぐに忘れてしまうかもしれないから、そうなったらもとのもくあみだ。

 与党である自民党の政治家が、韓国の新宗教とは関係しないようにすれば、それでものごとが片づいたことになるのだろうか。

 関係していたことが悪くて、関係しないようにするのが良いことであるよりも、日本の政治家が、関係の主体(referential subject)であることに悪さのもとがある。そう見なしてみたい。

 どこに問題の所在があるのかといえば、関係の有無ではなくて(それも大事でないわけではないけど)、関係の主体であることにわざわいがある。それがわざわいしている。

 関係の有無が、良いと悪いにつながるのであるよりも、日本の政治家は、関係の主体なのがあって、そこから悪さがおきているのだ。日本の政治で、いろいろな不祥事がおきまくってきているのは、それによっている。

 関係をするのは、交通をすることだけど、じかに韓国の新宗教と関係することが悪いのだとするだけでは十分ではない。じかの関係だけではなくて、間接の関係もある。

 間接の関係は、悪いことだとはされていないけど、そこに悪さを見てとりたい。

 すごい深くつながり合っていたのが、安倍晋三元首相と韓国の新宗教だ。安倍元首相と韓国の新宗教は深い交通のあいだがらだったのがある。その安倍元首相と、ほかの政治家が関わり合うのは、間接の関係だ。その間接の関係は、じかのものではないから、悪いことだとはされていないけど、そこに悪さがあった。

 安倍元首相と関わり合うのは、韓国の新宗教とじかに関わり合うことではないから、悪いことだとはされないけど、その間接の関係には、悪いところがあった。それで、政治でいろいろな不祥事がおきまくったのである。

 どういう交通がなされたのかを見てみると、安倍元首相とほかの政治家との交通のあり方は、関係の主体どうしによるものだったので、そこからいろいろな不祥事がおきまくることになった。

 西洋では、個人主義の絶対の主体(absolute subject)によるのがあって、ほかの人がどうであろうと自分はあくまでもこうだといったふうにできやすい。

 日本の関係の主体のあり方だと、個人としての自分のあり方を貫いて行くことができづらい。集団主義におちいりやすい。集団がもつ悪さに影響を受けやすいのである。

 悪いものだとされているのが韓国の新宗教であり、それと関係し合わないようにすれば、その政治家はあり方を改善することができたことになるのかといえば、そうとは言えそうにない。

 悪いとされているものとのあいだで、中継(hub)や媒介や仲介をになっていたのが安倍元首相だったのがあって、その媒介を介したつながりもあった。もしも、媒介がなければ、そこまで深いつながりがおきなかった見こみがある。媒介こそが悪さのもとだったのだと見なすことができなくはない。

 国どうしでいえば、日本と韓国は、おたがいにじかに関わり合うのであるよりも、アメリカを介したつながりになっている。アメリカが日韓の中継をになう。日本は情けないのがあって、アメリカを介してでないと、ほかの(日本のまわりの)東洋の国と関係し合えないのだ。アメリカだのみなのである。

 政治でよくないことになりがちな、関係の主体のあり方をつよく強(し)いたのが、安倍元首相だった。たんに、悪いもの(韓国の新宗教)との関係の有無が、よさや悪さを分けることになるだけではなくて、悪いとはされていないものとの関係にも、よく見てみると悪さがある。

 日本の政治家は、関係の主体に当たるのがあるから、そこから悪さがおきるのがあって、そのあり方を改善することがなければならない。そこを改善しないと、悪さの根(根本、根源)が改められたことにはならない。関係と、関係の主体を分けるようにして、そのうえで、日本の政治家が関係の主体であることを改善するようにしないと、根源からの改善にはつながらないから、それをやることがいる。

 参照文献 『法律より怖い「会社の掟」 不祥事が続く五つの理由』稲垣重雄 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『木を見る西洋人 森を見る東洋人―思考の違いはいかにして生まれるか』リチャード・E・ニスベット 村本由紀子訳