旧統一教会との関係を、自民党はどのように調べるべきだったのか―もれまくりの甘い調べ方

 政治と宗教との関わりを、自分たちで調べたのが、自由民主党だ。

 いちおう自分たちで、韓国の新宗教と自党(自民党)の政治家との関わりを調べたのがあるけど、理想としてはどのように調べるのがのぞましかったのだろうか。

 どのように調べるべきだったのかといえば、もれなくだぶりなくの MECE (相互性 mutually、重複しない exclusive、全体性 collectively、漏れなし exhaustive)でやるべきだった。それと、科学のゆとりをもちながら調べるべきだった。

 MECE によるのではない形で調べたのがあるので、自民党の調べでは、もれがありまくりなのである。調べからもれてしまっている自民党の政治家がいく人もいる。調べ切れていないのである。

 調べたあとになって、もれが出まくっているのがあるのが、自民党の調べだ。MECE によっていないから、あとになってもれがたくさん出ることになっている。のぞましいやり方である MECE によるようにして調べていれば、あとになってたくさんもれがでるようなことは避けられた。

 科学のゆとりが欠けているのがあるから、しっかりと労力をかけて調べていないのが、自民党の調べだ。どうにかして、自党と韓国の新宗教との関係を、うやむやにしたい。いい加減にしてすませたい。どうにかしてごまかそうとする思わくによっているから、いい加減な調べ方になっている。

 せっかくやるのだったら、てっていしてやるようにして、しっかりと危機に対応して行く。科学のゆとりをもつようにして、危機に対応していって、自党と新宗教との関係を調べつくす。そういうふうにやれば、危機の管理をやっていることになる。

 MECE によるのではなくて、科学のゆとりもないのが、自民党の調べ方だけど、そこにうかがえるのは、危機から逃避しようとする姿勢だ。危機の管理ができていない。自民党が思いえがいているように、うまく自民党が危機から逃げられるのかは不たしかである。

 危機からまんまと逃げられればもうけものだとしているのが自民党だろうけど、かえってそれが自民党にとってわざわいする。わざわいがこれまでにおきつづけて、いまの自民党のていたらくがある。これまでの蓄積から、それなりの大きさのわざわいの雪の玉になっているのが、自民党新宗教との関わりの問題だろう。

 危機の管理の点からすれば、これほどまでに深く自民党新宗教との関係があるのはおかしい。いろいろな負の信号(signal)や兆候が、自民党の内でいっぱいに出ていたのがあるけど、それらがことごとく無視されてきた。負の信号や兆候を、受けとろうと思えばいくらでも受けとれたけど、それらがほとんどぜんぶ見のがされてきた。

 危機の管理がしっかりとできていれば、早い段階で、負の信号や兆候をとらえて、それを十分に受けとることができた。早いうちに、自民党新宗教との関係をとり上げて、党の中でそれを改められた。正すことができた。

 おもい切り関係が深まってしまい、ずぶずぶのあいだがらにまでなってしまうと、病が深いことになり、直しづらい。まだ関係が浅いうちに、それを悪いことだと見なして、関係を切るなり何なりするのであれば、少しはやりやすかった。

 早いうちに、いろいろに出ている負の信号や兆候をびんかんにとらえるようにして、それが深刻化する前に手を打つ。危機の管理では、それが合理のやり方だけど、自民党では、危機の管理がほとんどぜんぜんできていなかった。まるでやる気がなかった。きびしく見ればそう見なせそうだ。

 危機をきちんと認識するためには、いろいろに出ている負の信号や兆候を、ことごとく見のがしてしまうようではよくない。それらをびんかんにとらえて行く。危機の認識への動機づけ(motivation)を高く持ちつづけていることがいる。または、その動機づけ(incentive)を高く持っている党の中の政治家を、とり立てるようにして、よくやったとほめるようにする。

 いろいろに出ている負の信号や兆候なんか、とらえたってしようがない。そんなものをとらえたって、党の中でほめられることもないし、利益を得られることもない。党の中で、排除されるのがおちだ。党の中がそうなっていると、危機を認識する動機づけがどんどん低まってしまう。危機にたいしてどんどんどんかんになって行く。

 権威主義だと、いろいろに出ている負の信号や兆候が見のがされやすい。どんかんになりがちだ。びんかんにそれらを受けとっても、上からほめられることはないし、かえって上からしかられるだけだ。

 民主主義によるのでないと、いろいろに出ている負の信号や兆候を、びんかんにとらえづらい。日本の国では、政治で民主主義がこわれてしまっているので、全体としてどんかんさが広まっている。いろいろに出ている負の信号や兆候が、見のがされまくっていて、いまにいたっている。

 安倍晋三元首相が犯人に殺される事件がおきて、とつぜんに、(ちょっと大げさな言い方だけど)どでかい危機が目の前に示されたところがある。権威主義の、権威の中心にいたのが安倍元首相であり、その安倍元首相が殺される事件がおきたから、ちょっとだけ(一時的かもしれないが)民主主義が回復したのだろう。

 きびしく見れば、MECE にもよっていないし、科学のゆとりもないから、調べたのだとはいっても、調べたことになっていない。自民党の調べ方ではそれが言えそうだ。

 いまは、利益の分配の政治ができなくなっていて、不利益の分配の政治をやらざるをえなくなっているのがあるので、その状況をくみ入れると、自民党は自分たちが不利益を引き受けるべきだろう。不利益を引き受けたくなくて、他に不利益を押しつけて、自分たちで利益を独占する。鉄の多角形(政と報と官と財と宗と軍と米などどうしのゆ着)のあり方だ。不利益の分配の政治の状況の中で、(既得権益の)保身のあり方がうかがえるのが、自民党の調べ方にはある。

 参照文献 『危機を避けられない時代のクライシス・マネジメント』アイアン・ミトロフ 上野正安、大貫功雄(おおぬきいさお)訳 『逆説の法則』西成活裕(にしなりかつひろ) 『民主主義の本質と価値 他一篇』ハンス・ケルゼン 長尾龍一、植田俊太郎訳 『理性と権力 生産主義的理性批判の試み』今村仁司 『「不利益分配」社会 個人と政治の新しい関係』高瀬淳一