消費税の増税の指令と、経済界(財界)―消費税(など)の増税のために、いること

 自民党を、評価する。経済の団体は、そう言う。

 消費税の増税をせよ。与党である自由民主党にそう言っているのが、経済の団体である。消費税の増税を指令しているのである。

 自民党を評価しているのが経済の団体だけど、その経済の団体を評価するのだとしたら、どのような評価ができるだろうか。

 経済の団体、つまり財界は、消費税の増税をうったえている。消費税の増税には、人々からの根づよい反対や反発がある。

 かりに、財界が言うように、消費税の増税はありだとする。それが必要なのだとしたら、許容されることがなくはない。一つのうったえとしてはありなのだとしても、そうであるのだとしたら、やらないとならないことがある。

 消費税の増税がいるのだと財界がうったえるのだとしたら、自民党のことを評価するのはおかしい。なぜおかしいのかといえば、自民党は、言葉の政治ができていないからである。

 政治において、人々に負担を引き受けてもらうのは、難しさがある。人々への負担が増えるようなことは、政治において難易度が高い。自民党は、政治において難易度が高いことをやれる能力をもっていない。

 政治において難易度が低いことならできるのが自民党だ。難易度の低いこととは、利益の分配の政治だ。戦後のしばらくのあいだは、日本では利益の分配の政治ができていた。そのときに力を持っていたのが自民党なのである。

 かつてとはちがって、いまの日本は不利益の分配の政治をせざるをえない。消費税の増税は、そこから出てきているものだ。財界が、消費税の増税をせよと言っているのは、つまるところ、不利益の分配の政治が避けられなくなっているのをしめす。

 増税は絶対にだめなことだ。減税しないとならない。人によってはそういった考えを持っている人がいる。増税はだめで、減税をよしとする人もいるから、そういう人の考えも(一つの考えとして)尊重しなければならないのはある。

 いろいろな考え、つまり色々な善の構想(conceptions of the good life)がある。善(good)と正(justice)における善だ。その中で、いまの日本は不利益の分配の政治を避けられなくなっている。そのように見なしてみたい。財界は、それを踏まえているところがあり、そこは部分としてはうなずけないではない。

 どういうところが財界の悪さなのかといえば、自民党を批判しない点だ。日本の国の中心にあるのが自民党なのだから、それを批判することがなければならない。財界は自民党を批判せずに、無批判なのがあるので、そのあり方を批判したい。自民党のおかしいところを財界はきびしく批判するべきだ。

 消費税の増税がいるのだと財界が言うのであれば、自民党を良しとするのはおかしい。なぜおかしいのかといえば、自民党は言葉の政治をやる力がほとんどないからである。

 言葉の政治をしっかりと行なうことができる政治の政党や政治家を、財界はよしとしなければならない。そうでないと、財界が、消費税の増税をせよと言っていることの、つじつまが合わない。独裁主義や専制主義による(つまり、言葉の政治によらない)のでもないかぎりは、自民党は、消費税の増税(またはそのほかの税の増税)をすることは難しいだろう。

 税では、増税をせよとか、減税をせよとかのことが言われている。その二つがあるけど、かりに財界が増税をせよと言うのにせよ、減税をせよと言うのにせよ、そのどちらであるのにしても、いずれにしても、自民党を批判するべきだ。日本の国の中心を批判して行く。それができていないのが財界であり、倫理が欠けている。

 自由主義(liberalism)においては、国と経済(財界)とそのほかの色々な大や中や小の集団(community)の三つが、おたがいに批判し合う。抑制と均衡(checks and balances)をかけて行く。一つの立ち場にかたよらずに、中立な立ち場から判断する思想なのが自由主義だ。

 財界が自民党を評価してしまうと、自由主義が取られなくなり、抑制と均衡がかからない。財界が、自民党をもっときびしくばんばん批判して行かないと、自由主義によることができづらい。日本の国の中心を、どんどん批判して行くように心がけることが財界にはいる。

 参照文献 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『「不利益分配」社会 個人と政治の新しい関係』高瀬淳一 『うその倫理学』亀山純生(すみお) 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ)