消費税と、うそやでたらめ―うそやでたらめでなりたつ国としての日本

 消費税について、うそやでたらめを言うべきではない。公共の電波である、テレビ番組において、うそを流すべきではない。与党の政治家は、テレビ番組でそう言っていた。

 かりに、与党の自由民主党の政治家が言うように、テレビ番組で消費税についてのうそやでたらめが言われたのだとすれば、なぜそれが言われることになるのだろうか。

 日本の政治では、うそが多い。消費税のことにかぎらず、そう言えるのがある。

 構造として、日本では、うそを言わないと国が成り立たない。うそで回っている国なのが日本だ。

 消費税のことについてをふくめて、うそを言わないようにするためには、日本の政治のあり方を転換することがいる。それなりの大きな転換がいる。

 政治と報道がゆ着し合う。その構造があるので、そこから日本ではうそが多く言われることになる。うそをつくことができるしかけになっているのである。

 政と報のゆ着があることから、政治家がうそを言ってもそれがたれ流されてしまう。すくなくとも一一八回のうそを議会で言ったとされる、自民党安倍晋三元首相を見てみると、それがよくわかる。

 安倍元首相は、すくなくとも議会で一一八回のうそをついたことがわかっているが、安倍元首相の個人を標的にするのとはべつに、構造の問題を見てみたい。

 構造の問題を見てみると、政と報のゆ着があるから、そこを改めるようにしたい。政と報のゆ着があったままだと、政治家が平気でうそをつけてしまう。

 甘く見れば、よくも悪くも、うそによって回っているのが日本の国だ。もしも、ほんとうのことだけを言うようにしたら、日本の国は崩壊する。そのおそれがある。

 ほんとうのことだけによるのだとすれば、日本の国は回らなくなる。ほんとうのことだけによるのだと、日本の経済は回らない。誰かがうそをつかないとならない。上の人間がうそをつかないとならない。

 上の人間がうそをつくのは、悪である。原則論としてはそう言える。悪によって回っているのが日本の国だ。悪によってなりたっている国なのが日本である。例外論として、うそがつかれるのがあるけど(つかざるをえないうそも中にはあるけど)、その例外が常態化している。

 どのようにしたら、日本の悪を改められるのか。悪を改めるには、悪をなしてしまうのを防ぐことがいる。上の人間がうそをつくことを防ぐ。うそをつきづらいようにして行く。政と報のゆ着をなくして行く。

 いまの日本は、かつてのように利益の分配の政治ができない。不利益の分配の政治をやらざるをえない。消費税のことには、それが関わってくる。

 政治の二大の要素としてお金と語りがあるが、消費税についてのうそやでたらめが言われるのは、語りが関わることだ。語りのところをちゃんとするようにして、言葉の政治をしっかりとやって行く。消費税のことでは、いかに言葉の政治がきちんとできるのかがかぎである。

 いっけんすると、消費税のことは、税率のことだから、お金についての話のようではあるが、そこでは語りがとても重みを持つ。語りが重みをもつのは、不利益の分配の政治をやることになるからである。政治における語りの、質と量がどうかがある。言葉の政治の、質と量を、そうとうに高くするのでないと、消費税についての適した(ふさわしい、正しい)政策はなしづらいだろう。

 参照文献 『「不利益分配」社会 個人と政治の新しい関係』高瀬淳一 『共謀者たち 政治家と新聞記者を繋(つな)ぐ暗黒回廊(かいろう)』河野太郎 牧野洋(よう) 『うその倫理学』亀山純生(すみお) 『安心社会から信頼社会へ 日本型システムの行方』山岸俊男 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『悪の力』姜尚中(かんさんじゅん)