消費税と、すぐに手に入る利益―(いますぐには手に入らない)長期の利益と、(いますぐに手に入る)短期の利益

 消費税を、利益の点から見てみたい。

 その点からすると、どういったことが言えるだろうか。

 消費税をよしとするのは、法の決まりを守ることであり、長期の利益に当たるものだろう。

 消費税を下げたりなくしたりするのは、短期の利益に当たるものだろう。

 長期の利益は、くだものの木の種を植えることだ。短期の利益は、おにぎりを食べることだ。これは、むかし話のさるかに合戦になぞらえたものだ。

 民主主義は欠点があって、どうしても短期の利益をとってしまう。長期の利益をとりづらい。くだものの木の種を植えるのよりも、おにぎりを食べてしまいやすい。

 消費税を取るようにしてから、日本の経済が悪くなっていったのであるよりも、短期の利益つまりおにぎりを食べつづけてきたことのなれのはてが、いまの日本だと言えそうだ。

 消費税を取るようにしてから、日本の経済が悪くなりつづけてきたのだとするふり返り方とはちがうふり返り方がなりたつ。

 かつてをふり返ってみると、日本はそのときどきで、おにぎりを食べつづけてきたのである。そのときどきで、おにぎりを食べるよりも、くだものの木の種を植えてきていれば、いまいっぱいくだものの実がみのっていて、それをほうふに味わえたのである。

 いま日本の経済が苦しいのは、くだものの実(return)があまりみのっていないからだろう。なぜくだものの実があまりみのっていなくて、それをあまり味わえないでいるのかといえば、これまでに、おにぎりを食べつづけてきたからだろう。くだものの木の種を植えることが、ほとんどなされてきていないのだ。

 国をよしとする愛国なんかは、おにぎりを食べることだ。短期の利益をとることだ。日本では愛国が強まっているけど、これはくだものの木の種を植えて行くことではない。そこからうかがえるのは、そのときどきで、おにぎりを食べることが行なわれてしまい、くだものの木の種を植えることが行なわれづらいのがわかる。

 何をやるべきなのかといえば、おにぎりを食べることであるよりも、くだものの木の種を植えることであり、未来においてくだものの実がいっぱいなるようにすることだ。いまおにぎりを食べてしまわないようにする。

 いまおにぎりを食べたり、(数は少ないながらも)くだものの実を味わったりするさいには、それらをみんなに平等に分配して行く。格差がおきないようにして行く。不平等にならないようにすることがいるけど、階層(class)の格差がおきてしまっているのが日本にはあるのはいなめない。

 消費税をとることがわざわいして、いまの日本の経済が苦しくなっているのであるよりも、これまでにおにぎりを食べつづけてきているのがあって、公共の財(common pool)がどんどん減ってきている。公共の財が失われてきているのである。自然の環境がこわれているのや、国の財政のぼう大な借金なんかに、それが映し出されている。

 おにぎりを食べないようにして、くだものの木の種をいま植えて行くのは、いますぐに実(return)を手に入れられるものではない。いますぐに快を得られるのではなくて、いまは不快に耐えつづけなければならない。不快に耐えつづけるのはできづらいから、いますぐに手に入る快をとってしまう。民主主義では、大衆迎合主義(populism)になることがあって、すぐにおにぎりを食べてしまいやすいから、そこが欠点だろう。

 参照文献 『赤字財政の罠 経済再発展への構造改革』水谷研治(けんじ) 『「欲望と禁忌(タブー)」の心理分析 現代人の”心のすきま”が読める本』高田明典 『「不利益分配」社会 個人と政治の新しい関係』高瀬淳一 『絶対に知っておくべき日本と日本人の一〇大問題』星浩(ほしひろし)