資産の倍増と、格差の広がり―不利益分配を避けられない日本のきびしい現実

 資産を倍増させる。岸田文雄首相はそう言う。資産倍増計画を言っていた。

 資産を増やすために投資をすすめているのが岸田首相だが、それはふさわしいことなのだろうか。日本の国の経済をよくすることにつながるのだろうか。

 岸田首相がやるべきなのは、投資をすすめたり、資産を増やすことをすすめたりすることだとはいえそうにない。

 学者のトマ・ピケティ氏は、階層(class)の格差を改めるために、岸田首相とは逆のようなことを言っている。格差を改めるには、資産税をかけるべきだとしている。金融の資産などに税をかけて、増税して行く。資産税をかけて、税金をとり、それを貧しい人たちに分配して行く。富める者から貧しい者へ、富を移行させて行く。

 格差がおきてしまうのは、資本収益率 r がつねに経済成長率 g を上回るからだとピケティ氏は言う。r が g をつねに上回り、格差が広がりつづけるのを、税金をかけることなどによって改めて行く。

 日本の国のありようを見てみると、目を向けたくないような暗部である、不利益分配のところをとり上げるようにするべきなのがある。目をそむけたくなるようなところなのが不利益分配だが、そこを岸田首相はとり上げるようにすることがいる。

 ゆとりが無くなっていて、にっちもさっちも行かなくなっているのが日本の国の財政のありようだろう。国がぼう大な借金をかかえているのがあり、その借金の山にじかに目を向けることが避けられている。現実の否認である。

 現実の否認の上になりたっているのが、岸田首相への支持であり、与党である自由民主党への支持だろう。日本がぼう大な借金の山をかかえていて、それを何とかしないとならず、不利益分配が避けられない現実がある。その現実をくみ入れたうえで岸田首相や自民党が支持されているとはいえそうにない。

 現実を否認したところの、かつての利益分配の残像があり、その残像のうえに築かれているのが岸田首相への支持や自民党への支持だろう。残像は実像とはちがうから、実像である日本のぼう大な借金の山や、不利益分配を避けられないことがつきつけられれば、岸田首相への支持や自民党への支持はもろく崩れてしまいそうだ。たとえ支持されているとはいっても、かつての残像によっていて、実像によるのではないから、ぜい弱性がある。

 かつての残像や追憶を引きずりつづけていて、それにすがっているのが自民党だ。一〇年の期間があるとして、それを前半の五年と後半の五年に分けられるとすると、前半の五年は利益分配ができたのがあり、右肩上がりだった。

 それなりにうまく行っていた前半の五年のときの残像にすがりつづけているのがいまの日本のありようだろう。それにすがりつづけることによって、すでに後半の五年に入っていることが否定されている。

 一〇年あるとして、その後半の五年は、不利益分配を避けられなくなっている。それがいまの日本だろう。岸田首相がやるべきなのは、前半の五年の残像をもち出すことではなくて、後半の五年のきびしい現実をとり上げることだろう。

 不利益分配が避けられない後半の五年は、きびしさがあるから、いろいろな言説が言われることになる。きびしさがある後半の五年では、そのきびしい現実から逃避するような甘い言説が言われることになる。楽観論の言説が言われて、うまいぐあいに神風が吹くのだとするような言説が言われる。

 甘いことからきびしいことまで、いろいろな言説が言われることになるが、この二つのうちでは甘い言説が多く言われがちだ。積極の財政でうまく行くのだとするような甘い言説が多く言われている。その甘さは、薬になるようでいて毒になるおそれがあることに気をつけたい。

 薬と毒の転化(pharmakon)があるから、甘いことつまり薬が、そのまま薬として通じるのならよいけど、毒に転じることがあるから危なさがある。きびしい言説は、毒ではあるけど、薬に転じることが見こめる。

 戦争のときには、神風の神話が言われて、日本は必ず勝つのだとする言説が言われた。日本は勝つのにちがいないとする甘い言説だけが許された。日本は負けるのだとするきびしい言説は言うことが許されなかった。

 甘さときびしさでは、神風の神話が現実には通じず、日本が戦争に負けたように、甘さではなくてきびしさのほうが当たることがある。甘いことが多くはびこるのには危なさがあるから、それが現実に通じないおそれがあることをくみ入れることがいる。

 きびしい現実である、不利益分配を避けられないのがいまの日本であり、かつてのように利益の分配ができなくなっている。不利益の分配つまり負担の分配をどうするのかを避けられない。

 不利益や負担を引き受けることをきちんとやるようにして、だれがどういった不利益や負担を引き受けるのかを明示して行く。不透明にならないようにして、透明化して、国民に情報を公開して行く。言葉によって十分に国民に説明するようにして、政治における言葉の質と量をともに充実させて行く。

 国民にものごとを見えるようにして、透明化して、フタのおおい(cover)をとり外したうえで支持されているのならよいけど、そうではないのがある。フタのおおいをかぶせて、不透明にしている中で支持されているのが岸田首相や自民党だろう。

 フタのおおいをとり外して、不利益分配が避けられなくなっている現実をあらわにしたうえで、支持を得るために言葉をできるかぎり尽くすのが政治でやるべきことだろう。フタのおおいをかぶせて、言葉できちんと説明せずに、支持を得ようとしてしまうのはまずい。

 いったん支持を得るのを度外視して、力や勢力を落とすくらいのことをしないと、日本がよくなることはのぞみづらい。浮上するためには、いったん沈んで、深く沈んだ上でそこから浮上をさぐることがいりそうだ。

 すぐに浮上しようとしてしまうと現実を否認してしまうから、深く沈むようにして現実(不利益分配の現実)をくみ入れて行く。沈んでから浮上をさぐる段どりだ。いったん深く沈むためには科学のゆとりをもっていないとならない。支持を捨てて、支持を失って不支持がたくさん増えてでも、言うべきことはきちんと言うような科学のゆとりがいる。

 参照文献 『「不利益分配」社会 個人と政治の新しい関係』高瀬淳一 『貧困と格差 ピケティとマルクスの対話』奥山忠信 『逆説の法則』西成活裕(にしなりかつひろ) 『現代思想を読む事典』今村仁司