日本の政治と、巨大なおむつ―おむつを取ることができなくなっている

 日本の国を、赤ちゃんになぞらえて見られるとするとどういったことが言えるだろうか。赤ちゃんになぞらえるとすると、いまだにおむつがとれず、おむつをしたままになっている。

 政治学者の姜尚中(かんさんじゅん)氏によると、日本の戦後は、アメリカによって巨大なおむつをはかされたのだと言っている。このおむつがいまだに取れていないでいまにいたっているのが日本の国だろう。与党である自由民主党が力をもちつづけているのにそれがあらわれている。

 戦後に日本は経済で高度成長をした。そのときには、アメリカにはかされた巨大なおむつが機能していた。おむつをはいたあり方でもよかった。利益分配政治のときには、おむつをはいたあり方でもよかったところがあったが、いまはそれがなりたたなくなっている。おむつを取ることがいるが、あたかもおむつと体が一体化しているかのようであり、おむつが取れていない。

 いまはかつてのような利益分配の政治ができなくなっていて、不利益分配の政治がいるようになっている。だからこれまでにはいていたおむつをとっくに取っていないとならないが、いまだにおむつをはきつづけていて、おむつをはいたあり方ではないそれ以外のあり方が見えてこない。おむつになじみすぎているのだ。

 おむつを取るべきではあるが、それを取れなくなっているのは、アメリカがそれを許容していないのと、グローバル化の影響がありそうだ。アメリカは日本をこれから先もしたがえつづけたいから、日本におむつをはかせつづけておきたい。おむつをはいたままの日本のほうが、アメリカにとってあつかいやすい。

 世界の全体がグローバル化しているのがあるために、そのグローバル化がおむつとして機能する。グローバル化のおむつを取ることができなくなっていて、世界との歩調を日本が勝手に乱すことはできづらい。日本にとっての世界は、すなわちアメリカと言いかえられる。国と国とのあいだの境い目がうすまっていて、日本をふくめた国の液状化がおきている。

 いまはかつてと同じようにはおむつが機能しなくなっていて、利益分配の政治ができなくなっているのが日本の国だ。かつてとはちがい、いまは不利益分配の政治をやらないとならなくなっていて、きちんと言葉でいろいろなものごとを説明できて、説明責任(accountability)をはたせる政治家が長として出てこないとならない。

 かつてはおむつが機能していて、利益分配の政治ができた。いまではそうではなくなっているが、かつての残像がいまだにのこりつづけていて、それにすがっているのが自民党である。いまはおむつが機能せず、利益分配の政治ができなくなっていることを受け入れていない。現実を受け入れるのをこばんでしまっている。

 おむつを取らないで、それをはきつづけていたほうが、かつてのおむつが機能していたときの残像にすがれる。利益分配の政治ができていたころの残像にすがれるから、いまの現実が置かれているきびしいありようを直視しないですむ。いまは不利益分配の政治をしなければならず、きびしい現実と向き合うことが避けられなくなっているが、甘い非現実に逃げこもうとしているのが日本だろう。いまだにおむつが取れないところにそれがあらわれ出ている。

 参照文献 『リーダーは半歩前を歩け 金大中(きむでじゅん)というヒント』姜尚中 『「不利益分配」社会 個人と政治の新しい関係』高瀬淳一 『グローバリゼーションとは何か 液状化する世界を読み解く』伊豫谷登士翁(いよたにとしお)