与党の政権によって、いまの日本の社会はうまく行っているのか―社会の中はいまどうなっているのか

 野党は批判ばかりしている。そう言われるのがあるのについてをどのように見なすことができるだろうか。それについてを、構築主義(constructionism)の点から見てみたい。

 構築主義の点から見てみられるとすると、こういったことが言えそうだ。野党は批判ばかりしていると言われることから浮かび上がってくることとして、新自由主義(neoliberalism)によって日本の社会の中が分断してしまっている。自己責任論がとられることで、自己責任社会になっている。

 分断がおきているために、日本の社会の中がとらえづらくなっていて、よくわからなくなっている。社会がうまく行っているのかそれともうまく行っていないのかや、よくなっていっているのかそれとも悪くなっているのかがわかりづらい。

 与党である自由民主党がやっていることにたいして、批判を投げかけるのが野党(opposition)だ。そのさいに野党が何をやっているのかと言えば、社会問題についての言説(発言)を行なっていると言える。社会問題は、言説が言われることによって主観で見つけ出されるものであり、客観にそれがあるとは言いがたい。

 いくら批判を投げかけても、与党である自民党にはあまり響かない。それは、社会問題が言説によって主観に見つけ出されることから来ているものだ。客観に問題があるとは言いがたいので、問題があるのではなくてその逆にそれがないのだとする言説を言うことができる。

 いくら問題があるとする言説を言ったとしても、それを無化する言説を言うこともなりたつ。無化する言説を言うと、問題がないことになってしまい、隠ぺいされてしまうことがある。問題があることが見えづらくなり、フタのおおい(cover)がされてしまう。

 日本の政治では、与党である自民党はよいが、野党はだめだとする言説が主流だ。野党は悪いとする言説が力をもっているので、日本の社会の中にあるさまざまな問題が見つけ出されづらくなっている。たとえ見つけ出されたとしても、無化されてしまいやすい。

 野党などの反対勢力が大きな力をもっていなくて、小さい力しか持てなくなっていることから、日本の社会の中がいまどうなっているのかがわかりづらい。社会の中が見えづらくなっている。

 社会の中が見えづらくなってしまっているのは、与党である自民党が中心化されていて、野党が辺境(marginal)に置かれてしまっていることが大きい。あたかも自民党が社会の全体を代表しているかのようにされていて、全体化されている。いろいろなちがう視点からさまざまなことが言われるのではなくなってしまっていて、与党である自民党はよいが、野党はだめだとか悪いとされるのが主流になっている。

 与党はよいが野党はだめだとするあり方を改めて、いま中心に置かれているものを脱中心化するようにして行く。あくまでも自民党は政党(political party)として社会の中の一つの部分(part)しか代表していないことをしっかりとさし示す。社会の中のほかの部分を代表している野党などの反対勢力をもっと十分にとり立てるようにして行く。そうしなければ、いったい日本の社会の中がいまどうなっているのかがわからないままになる。客観の現状の認識がさまたげられてしまっている。

 参照文献 『社会問題の社会学赤川学現代思想を読む事典』今村仁司編 『分断社会・日本 なぜ私たちは引き裂かれるのか(岩波ブックレット)』井手英策(えいさく)、松沢裕策編 『小学校社会科の教科書で、政治の基礎知識をいっきに身につける』佐藤優 井戸まさえ