防衛費を増やすことと、政治家の語り―語りの危険性

 日本を守るために、防衛費を上げるようにするべきなのだろうか。

 防衛費をどんどん上げて行くことには、正の順機能(function)だけではなくて、いろいろな負の逆機能(dysfunction)がありそうだ。

 まずさとしては、参照点を上げすぎになるのがある。

 日本の国の財政のことをくみ入れると、いま日本は不利益分配が避けられなくなっている。その中で、政治家による語りの危険性が高まっている。政治家の語りにより気をつけないとならなくなっている。

 視点の置きどころとしては、参照点を上げることもできるし下げることもできる。参照点を上げすぎれば危険性をやたらにあおることになる。参照点を下げれば落ちついた見なし方ができる。あまり参照点を下げすぎると危険性を見落とすことがおきかねない。

 ロシアがいま戦争をやっているからといって、いま日本では危険性がやたらにあおられすぎている。ロシアの戦争に便乗して、危険性をあおっている。参照点を上げすぎている。そうした見こみがある。

 上げることもできるし下げることもできるのが、視点の置きどころとしての参照点だから、上げるだけではなくて下げることもいる。参照点を上げるだけだとものの見かたがかたよっていて、つり合いをとりづらい。つり合いをとるためには、参照点を下げてみて、落ちついた見かたをしてみることもいる。

 政治はお金と語りの二大の要素によるが、そのうちでお金のあり方と語りのあり方のどちらもがおかしくなっているのがいまの日本だろう。防衛費をどんどん増やして行くのは、お金の使い方としておかしさがあるし、語りのあり方としてもおかしさがある。

 お金では、利益を与えるのと不利益を与えるのがある。この二つがある中で、できれば、政治においては、国民に利益を与えるべきだ。それとともに、それが正当なものであったり、やむをえないこと(やむをえない負担)であったりするのなら、国民に不利益を与えることがあってもよい。納得できるかたちで不利益を引き受けて行く。

 お金においては、国民にたいする利益の与え方がおかしくなっているし、不利益の与え方もおかしくなっている。利益の与え方と不利益の与え方の二つともを適正にすることがいる。

 防衛費をどんどん増やすと、国民に不利益を与えることになる。できれば国民に利益を与えるのがのぞましいのに、不利益を与えてしまうのだから、のぞましいことだとは言えないものだろう。

 利益と不利益を適正にするようにして改めるには、これまでのあり方への反省が欠かせない。反省して改めて行くことがいるけど、これができていないのが日本だろう。へんな利益の与え方と、へんな不利益の与え方になっていて、それが反省されていない。(そうなっていることだからといったようなことで)既成事実が重みを持ちすぎている。自明なことだとはせずに、ふり返りと見直しをして、きちんとした利益の与え方と、きちんとした不利益の与え方に改めることがいる。

 いまの日本は、財政でぼう大な借金をかかえていて、不利益分配を避けられなくなっている。利益分配ができなくなっている。利益分配ができていたときは、防衛費を少なくして、軽武装にできていた。

 防衛費をどんどん増やして行こうとしているのは、不利益分配の文脈のものとして見なせそうだ。そこで気をつけないとならないのは、政治家による語りだろう。政治家がうそやだましの語りを言うことが多くおきているから、それをそのまま丸ごとうのみにするとだまされてしまう。

 多く言われがちな政治家の語りでは、日本の国を守る防衛や、国の安全などが言われる。防衛や安全の語りにはうさんくささがある。国と言ったさいに、それは国体をさしている。国体は国民のことではない。国体(天皇制など)は守るけど国民は守らないのがほんとうのところだろう。

 語りとして防衛や安全を見てみると、そもそも守るべきものとしての日本の国はあるのかがややうたがわしい。守ったり保ったりすることがいる日本の国は、はたしてあるのだろうか。

 いまの日本はそうとうにアメリカ化している。アメリカがかつての天皇のようになっていて権威化されている。それよりいぜんの日本は中国化していた。日本のまわりの大きな文明国(アメリカや中国など)からの影響を受けつづけてきたのが日本だろう。世界主義(globalization)がおきているのにくわえて、いまのアメリカ化されてアメリカの属国のようになっている日本の国を守るのはどういうことを意味するのかが定かではない。

 (自然の環境などが)これまでに壊されつくしてしまったのが日本の国なのではないか。守るのであるよりも、これまでにさんざんに日本の国を壊してきてしまっている。(長期ではなくて)目先の利益に目がくらみつづけて、いまにいたっている。公共の資源の財(common pool)を壊しつづけてきた。いちばん日本を守らず、いちばん日本を壊してきたのが(当の)日本人なのだと言えなくもないかもしれない。

 利益分配ができていたときならまだしも、いま日本は不利益分配を避けられなくなっていて、負の遺産のようなものがいろいろにある。問題が山積している。つけがいっぱいにたまっている。課題先進国なのが日本だ。その中で、まともにではなくて、かげにかくれて目だたないようにして、こそこそと不利益分配の闘争が行なわれている。不利益の押しつけ合いの闘争だ。

 もともとがそうだったが(日本人はだましやすい)、いまはなおさら日本の国民をだましやすくなっているのがあり、政治家の語りがそのまま通用しやすくなっている。政治家の言う語りをそのまま丸ごとうのみにするのではなくて、どのような政治家であったとしても(たとえ見かけには良さそうな政治家であったとしても)、語りに気をつけるようにして行きたい。

 どういう意図(intention)を日本の政治家がもっているのかといえば、国民には見せないような形でうらでこそこそと不利益分配の闘争をやり、かたよった利益の与え方と、かたよった不利益の与え方をやって行く。普遍化できない差別をやって行く。差別による秩序を固定化させて行く。

 不合理な差別の秩序の固定化の意図が日本の政治家にはあり、その意図をそのままあけすけに国民に言葉(message)で語るはずはない。意図とはちがうことを語る。意図と語りがずれているのだとする見解(view)をもてる。IMV 分析からするとそう言えそうだ。

 参照文献 『政治家を疑え』高瀬淳一 『疑う力 ビジネスに生かす「IMV 分析」』西成活裕(にしなりかつひろ) 『うたがいの神様』千原ジュニア 『どうする! 依存大国ニッポン 三五歳くらいまでの政治リテラシー養成講座』森川友義(とものり) 『グローバリゼーションとは何か 液状化する世界を読み解く』伊豫谷登士翁(いよたにとしお) 『国体論 菊と星条旗白井聡(さとし)