処理水と、うその発見(discovery)と隠ぺい(cover)―うそを発見する機械(つまり報道)の必要性と重要性

 日本や東京電力は、処理水について、うそをついているのだろうか。

 原子力発電所から出た処理水(汚染水)を海洋に放出することについて、日本の国や東電がうそをついているとは必ずしも言い切れないかもしれない。

 処理水のことにかぎっては、日本の国や東電は、あるていどより以上に科学によるやり方をやっている。科学によるやり方でやっていて、うそはついていない。そう見なせるところがあるかもしれない。

 かんじんな点は、日本の国や東電が、処理水のことでうそをついていないことにあるのではない。

 うそをつかないのは、良いことだ。うそをつかないのに越したことはないけど、かんじんな点は、日本の国や東電がうそをついていないかどうかを、きびしく監視することだ。

 国がうそをついているかどうかをきびしく監視して行く。その監視がきわめて甘いのが日本の報道だろう。権力の監視の役(watchdog)をはたせていない。

 日本の報道は、権力の監視ができてない。監視が甘い。きびしく監視するのができていないから、国などが政治でうそをつき放題になっている。政治のうそがまんえん化してしまっている。

 権力のうそを見逃さない。うその発見器の役を果たさなければならないのが報道だ。その役を果たせていないのが日本の報道だから、権力がうそをついたとしても、それに報道が反応しない。報道が権力のうそを見逃してしまう。

 国民そのもの(presentation)ではなくて、国民の代理なのが政治家だ。表象(representation)なのが政治家だから、それにたいするうその発見器がなければならない。報道が、表象である政治家を批判することがいる。

 うその発見器として報道が機能しているのであれば、権力がうそをついたら、それが見逃されない。権力がうそをついているのが、すくい取られて、うそがとり上げられる。

 ウイルスへの感染だったら、PCR の試験なんかがある。陽性か陰性かの結果が出る。それと同じように、報道がうその発見器の役を果たせていれば、権力の言うことが陽性か陰性かを明らかにできる。陽性だったらうそをついていて、陰性だったらうそをついていない、といったように、報道の中ではっきりさせられる。

 ウイルスへの感染でいえば、はたして陽性なのか陰性なのかがよくわからない。権力がうそをついているのかついていないのかが定かではない。そこをはっきりとさせようとしないのが、日本の報道だ。

 処理水を海洋に放出することでは、日本の国や東電が言っていることが、(ウイルスへの感染でいえば)陽性なのか陰性なのかがわかりづらい。報道が、うその発見器の役を果たしていないからである。

 処理水のことだけではなくて、たとえば地域の政治では、大阪ではうそがはびこっている。大阪で権力をにぎる、日本維新の会(第二自由民主党)は、うそやでたらめを少なからず言っているけど、それらが見逃されまくっている。維新の会は、大阪では安心していられる。報道がうその発見器の役を果たさず、維新の会をきびしく批判しないからである。

 与党である自由民主党は、うそやでたらめを付きまくっている。それでも自民党は権力をにぎりつづけられる。なんで権力をにぎりつづけられるのかといえば、報道がうその発見器の役を果たさないからなのが大きい。

 政治では、言葉の点がだいじだ。言葉の政治をやることがいるようになっているのがいまの日本だけど、報道がうその発見器の役をきちんと果たすようでなければならない。それができていないのがあるから、日本の政治は権力がうそをつきまくれるありようになっていて、危なさがある。

 参照文献 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修 『日本語の二十一世紀のために』丸谷才一 山崎正和現代思想を読む事典』今村仁司編 『武器としての〈言葉政治〉 不利益分配時代の政治手法』高瀬淳一 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫憲法という希望』木村草太(そうた) 『絶対に知っておくべき日本と日本人の一〇大問題』星浩(ほしひろし) 『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学松永和紀(わき) 『考える技術』大前研一 『うその倫理学』亀山純生(すみお) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ)