朝日新聞にたいしてきびしい声が投げかけられている―朝日新聞はだめになっているのか

 朝日新聞はだめになっている。政治の権力をしっかりと批判しなくなっている。政治の不正を十分にとり上げていない。そう言われているのがあるが、それは当たっているのだろうか。朝日新聞がだめになっているのは、一面としては当たっていそうだ。

 どこに原因があるのかの原因の帰属で、朝日新聞の内かそれとも外かがある。内であれば朝日新聞が悪いことになるが、外であれば必ずしも朝日新聞が悪いのではない。内だけではなくて外もまた見てみたい。原因を内に帰属させるだけではなくて外にも帰属させてみたい。

 朝日新聞はだめだと言ってしまうと、野党はだめだと言うのと同じようなことになってしまう。朝日新聞は議会の外の反対勢力(opposition)の一つであり、野党は議会の中の反対勢力だ。

 ほかの右派系の新聞社は、政治の権力にきびしい批判をしないから、らくな立ち場にあり、らくをしている。大本営発表のようなことをやっているから、やっていることにあまり価値がない。それよりもきびしい立ち場にあるのが朝日新聞などの左派系の新聞社であり、負っている役割は右派系の新聞社よりも大きい。それだけたいへんな立ち場にある。

 比較の点からすると、左派系の新聞社がだめなのだとしても、右派系の新聞社はそれよりももっとだめだ。右派系の新聞社は、きびしくいえば論外であり、話にならない。政治の権力を批判しないとならない国民の番犬(watchdog)が報道機関なのだから、職務の放棄である。より強い理由(a fortiori)によって批判されるべきだ。

 戦前は法律の新聞紙法で、新聞が自由にものを言うことができなくなった。戦後は新聞紙法がなくなったので、新聞は自由にものを言えるようになっている。自由になったのはあるものの、戦前と戦後の共通点として、商業主義をあげられる。売り上げが落ちることに弱いのが報道機関だ。その弱さは戦後のいまにおいても変わっていない。

 朝日新聞をよくするためには、朝日新聞が社として自分たちで努力するだけではうまく行きづらい。そう見なしてみたい。朝日新聞をふくめて、新聞や広くは報道機関をよくして行くためには、それぞれの社が自分たちで努力するだけではなくて、政治としてそれにとり組むことがいる。上から政治として報道機関をよくして行く。社会問題としてそれを政治によって解決して行く。

 戦前とはちがって、いまは新聞紙法はないが、(活字の世界とはちがい)放送の世界では言論法である放送法がきいている。放送法が言論法になっているところがあるので、戦前と同じように自由にものが言えなくなっている。放送が自由主義(liberalism)の公器ではなくなっている。自律性がなく、他律性によっていて、政治の権力からの圧を強く受けている。

 与党である自由民主党が政治の権力をになっているが、自民党の政権には報道機関をよくして行こうとする問題意識がない。それがわざわいしてしまい、朝日新聞がだめになっている。朝日新聞をふくめて、報道機関が悪くなっている。

 放送の世界では言論法として放送法がきいていて、いろいろな言ってはいけない禁忌(taboo)がある。言ってはならないとされているいろいろな禁忌をうち破ることができない。報道機関がいろいろなことについてを自由に言ってよいようにはなっていないのがあり、言うべきことが言われないことがいろいろにおきてしまっている。

 やらなければならない努力の全体の量が一〇くらいあるとして、そのうちで朝日新聞ができている努力は六とか五くらいかもしれない。理想論としては、一〇の努力ができればよいが、現実論としては、六や五くらいの努力しかできていない。まだまだ努力が足りていない。

 きびしく見れば朝日新聞は努力がそうとうに足りていないが、甘く見れば少しは努力ができているところがある。まったく何もできていないのではなくて、少しくらいは努力ができているところがあるので、そこを政治の権力はとり立てるようにして、耳を傾けるべきである。

 政治の権力がまったく耳を傾けなくなると、ことわざで言うのれんにうで押しとなり、努力する動機づけ(motivation)が落ちていってしまう。骨折り損のくたびれもうけになる。どうせ批判をしたとしても、政治の権力が耳を傾けずに無視してしまうのだから、ますます努力をして行こうとはなりづらく、理想論である一〇の努力に少しでも近づいて行こうとはならなくなる。

 たとえやっても実らないのがあるから、努力の量が落ちていってしまい、六や五くらいの努力の量に落ちこんでしまっている。これを上に引き上げて行くには、政治の権力のあり方が変わらないとならないだろう。報道機関がいろいろなことについてを自由に言えるようにして行き、思想の自由市場(free market of ideas)にすることがいる。政治が上から報道のあり方を社会問題として改善して行くことがないと、構造の問題は片づきそうにない。

 参照文献 『そして、メディアは日本を戦争に導いた』半藤一利(はんどうかずとし) 保阪正康(ほさかまさやす) 『社会問題の社会学赤川学 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『「野党」論 何のためにあるのか』吉田徹