日本がやった戦争は、正義の戦争だったのか―よい戦争だったのか

 日本が行なった戦争は、東洋の国々を解放するためのものだった。正義の戦争を日本は行なった。講演の中や、新聞の記事などにおいて、そうしたことが言われている。そうしたところで言われているように、過去の日本の戦争は正義の戦争だったのだろうか。

 日本が行なった過去の戦争についてを見るさいに、戦争をわかったつもりにならないことがいる。それにくわえて、反証主義によるようにして、反証の可能性をもつようにすることがいる。反証の可能性をもたないと、確証(肯定性)の認知のゆがみがはたらいてしまい、いろいろなちがった視点から戦争についてを見られなくなってしまう。

 反証主義によるさいには、日本の過去の戦争をどのようにとらえるべきかの問題がまずある。その問題にたいして、東洋の国々の解放のために、日本は正義の戦争を行なったのだとする見解をとれる。

 正義の戦争だったとする見解をとるのだとしても、それで問題が片づいたことにはなりづらい。正義の戦争だとする見解をとるので終わりにしないで、その見解にたいしてきびしい批判を投げかけて行く。他からの批判にたいして開かれているようにする。見解の中にまちがいがいろいろに含まれている見こみがあるから、それをくみ入れておく。

 戦前と戦後では、戦前は日本は東洋のほうに目を向けていたのがある。アジア主義などがとられていた。東洋の国々を解放させるのであるよりは、日本が優等で東洋が下等だとするのがあった。これは西洋中心主義であり、日本はその西洋中心主義を内面化していた。

 日本は近代化するなかで西洋中心主義を内面化していたのがあり、西洋の列強の帝国主義が行なっていた、植民地主義の植民地の支配をとり入れていた。日本は、自己植民地化をしていたのである。自己植民地化は、文学者の小森陽一氏による。自己植民地化をして、西洋のあり方をとり入れつつ、東洋の国々を植民地化していった。日本は反植民地主義だったとは言えそうにない。

 戦後においても、植民地主義後(postcolonialism)のもめごとがおきていて、日本はそれを片づけられていない。植民地主義負の遺産であるかこんやいこんがいまだに残りつづけている。日本がやった過去の植民地の支配についてを、日本は清算できていない。歴史を忘却しているのが日本であり、戦前とはちがい、いまは東洋のほうを見ず、その代わりにアメリカのほうばかりを見ている。

 いぜんに日本が植民地の支配をしたのが東洋の国々だから、戦後においては、そこは日本にとって暗いかげのようになっている。とりわけその暗いかげが濃いのが中国の東北部や朝鮮半島である。そこへ日本は目を向けないようにしていて、東洋を軽んじている。その代わりに、暗いかげを払しょくするために、アメリカのほうばかりを見ていて、アメリカは光だとしている。暗いかげを見ないようにするために、アメリカは光だとしてしまっているのだ。

 日本が戦争に負けた日は、東洋の国々にとって、解放の日だとされている。日本が戦争に負けたことによって、日本から解放されたのが東洋の国々である。日本が戦争に負けた日は、解放の日だから、その日が祝われている。日本は天皇制によっていて、天皇制の中心に近い日本人は優等で、そこから距離があって遠い東洋の国々は下等だとしていた。天皇制の中で下等だとされていたあり方から解放されることになった。

 正義なのであれば、それを行なうことはよいことではあるが、日本の過去の戦争がそうだったのだとは言えそうにない。戦争をやるべきかやらないようにするべきかでは、日本人のなかで、見聞が広めの人であればあるほど、戦争をやることには反対だった人が多かったとされる。見聞が広くて教養がある人ほど、戦争をやることには否定的な人が多かった。合理よりも非合理のほうが力を持ってしまい、戦争をやることになってしまった。

 正義が逆に不正義に転じるのがかいま見られるのがあり、戦争が正義だったのではなくて、むしろ正義が暴走してしまったと言ったほうが当たっていそうだ。かくあるべきの当為(sollen)である大義がもっている危なさが現実化してしまった。正義の戦争だったからよかったのではなくて、正義だったからこそそれが不正義に転化してしまったと言える。それはちょうど、カルト宗教が自分たちの教義(dogma、assumption)や教条を絶対化して、まちがった方向につき進んで行くのに等しい。

 日本の国内には、見聞が広くて教養がある人たちがいて、その人たちは戦争に反対の人が多かったのだから、その人たちの声を十分にすくい上げるべきだった。たとえば、石橋湛山(たんざん)氏は、小日本主義を言っていて、日本の外へ向かっての拡張主義を批判していた。日本が他の国を植民地にして支配するものである大日本主義を批判したのである。

 石橋氏のようにまともなことを言っていた人たちが日本の国の中にはいたが、その人たちは国の政治の権力から弾圧を受けて、声をあげるのを禁じられた。日本の国の中にはいろいろな声があったが、いろいろな声によるかくあるの実在(sein)のところが否定された。国家の公を肥大化させていった。日本の国のまちがいの一つはそこにあったと言える。

 参照文献 『思想読本四 ポストコロニアリズム姜尚中(かんさんじゅん)編 『わかったつもり 読解力がつかない本当の原因』西林克彦 『反証主義』小河原(こがわら)誠 『増補 靖国史観 日本思想を読みなおす』小島毅(つよし) 『公私 一語の辞典』溝口雄三