いまの日本がやるべき実践の正義―防衛や軍事が、実践の正義に当たるのか

 国を守る。防衛や軍事の力を強めて行く。

 日本がいまやるべきこととして、国を守るようにすることを何よりも優先させるべきなのだろうか。防衛や軍事の力を強めるようにすることが、何にもましていることなのだろうか。

 どのようなことをいま日本がやるべきなのかでは、それを実践の正義としてとらえてみたい。いま日本がやるべきことなのが、実践の正義に当たることだ。それと制度の正義とのかね合いもある。

 軍事の力(hard power)を高めることが、いま日本のやるべき実践の正義に当たるのではない。

 文化の力(soft power)を高めるようにすることが、いま日本のやるべきことであり、実践の正義に当たる。

 日本のいまの制度の正義である、日本のいまの憲法を見てみると、日本がいま何をやるべきなのかがわかってくる。

 文化の力を高めて行く。軍備を拡大して行くのではなくて、それを縮小して行く。軍縮をして行くことがいるのが、憲法を見ると見えてくる。制度の正義からはそれが言えそうだ。

 戦争で負けたすぐあとに、日本人がどういった誓いをしたのかがある。不戦や反戦や非戦の誓いを日本人はやった。それらの誓いが、制度の正義である憲法にはこめられているのがあり、そこを改めてとり上げるようにしたい。

 いまの与党である自由民主党は、どういった戦争への見なし方をもっているのか。それを見てみると、三つの戦争観がある中で、自民党は、正戦論や無差別戦争観をとっていることが見えてくる。

 正戦論は、正義のための戦争ならばそれをやっても良いのだとするものだ。日本の国を守るための戦争ならば、やってもよい。日本の国は正義なのだから、日本の国がやる戦争もまた正義だ。

 無差別戦争観は、じっさいに戦争がおきてしまうことがあるのだとする。それが良いことかどうかは置いておいて、戦争がおきてしまうことがあり、戦争が避けられないことがある。戦争が起きるのはいたしかたがない。

 いまの自民党は、戦争をやることにたいする誘因(incentive)を持つ。軍事の力を高めることに、強い動機づけ(motivation)をもっている。戦争に引きつけられているところがある。

 文化の力によるようにするのであれば、違法戦争観によることがいる。戦争をやることは、国際法に反することであり、罪に当たる。国が戦争をやり、罪をおかすことになるのを、防いで行く。国が罪をおかさないようにして行く。

 日本が不正や罪をおかさないようにするためには、どういったことが実践の正義であるのかを押さえておきたい。何が実践の正義に当たるのかでは、制度の正義である憲法が役にたつ。制度の正義である憲法にそったことをやると、実践の正義になりやすい。きちんとした近代の立憲主義憲法であれば、それが言える。

 ロシアなんかを見てみると、制度の正義もなく、実践の正義もできていない。ロシアはいま戦争をやっているから、実践の正義ができていないことは明白だ。正戦論や、無差別戦争観をとっている。

 ロシアと比べれば、日本はまだ制度の正義は持っているから、制度の正義である憲法をしっかりと生かして行く。憲法を生かして行くことが、日本が実践の正義をやることにつながって行く。

 いまの現実を見ても、あまり実践の正義をやることには役に立ちづらい。現実は事実(is)だから、そこからは価値(ought)は出てはこない。どういったことが価値なのかは、制度の正義である日本のいまの憲法を見てみると、ためになる。

 自民党は、事実つまり価値のようにしてしまっている。いまの現実が、つまり価値なのだといったようにしている。事実から自動で価値を導いてしまっているところがある。自然主義の誤びゅうだ。

 正義は価値であり、価値が何なのかを見るためには、事実と価値を切りはなす。価値では、制度の正義である日本のいまの憲法がためになる。自民党は、憲法をないがしろにしていて、それを軽んじていて、それをこわそうとしているので、やっていることがめちゃくちゃになっている。正戦論や無差別戦争観のようなよくない戦争観をとっている。自民党をきびしく批判して行くことが、実践の正義の一つになることはたしかだ。

 参照文献 『憲法という希望』木村草太(そうた) 『一三歳からの法学部入門』荘司雅彦 『戦争の克服』阿部浩己(こうき) 鵜飼哲(うかいさとし) 森巣博(もりすひろし) 『憲法主義 条文には書かれていない本質』南野森(しげる) 内山奈月 『天才児のための論理思考入門』三浦俊彦