日本の政治で、何をやるべきなのか―やるべきだけど、できづらいこと

 防衛費を増やして行く。軍事に力を入れて行く。それがいまの日本の国のやるべきことなのだろうか。

 日本がいまやるべきことと、そのやるべきことがやれていないこととを見てみたい。

 やるべきことは、何々するべきの価値(ought)だ。何々であるべきの当為(sollen)だ。理想論だ。正義論である。目標の状態だ。

 価値や当為や理想論や正義論や目標の状態があって、それがじっさいになせるかどうかがある。やるべきことができるかどうかだ。できやすさの度合いのちがいがある。

 防衛費を上げるのは、やるべきことだとされているから、価値や当為や理想論や正義論や目標の状態だとされている。やるべきことだとされていて、それがわりあいできやすい。できやすさの度合いが高い。

 できやすさの度合いが高いのは、じっさいの政治の政策になりやすいものだ。政治の政策になりづらいものは、できやすさの度合いが低い。

 すべてのやるべきことが、政治の政策になるわけではない。政策になりやすいものと、そうなりづらいものとがある。片づきやすい社会の問題と、片づきづらい社会の問題のちがいだ。

 できやすさの度合いが高いものではなくて、それが低いものを見てみたい。度合いが低いものは、やるべきなのにもかかわらず、それができていないものだ。やるべきことだけど、それをやるのがとても難しい。

 ことわざでは、ローマは一日にしてならず(Rome was not built in a day.)と言われるが、防衛費を上げるのは、どちらかと言うとできやすい。ローマは一日にして(何日かあれば)なりそうなものだ。

 ことわざ通りの、ローマは一日にしてならずと言えるような、なかなかできづらいものを見てみると、権力者の首をとるのがある。権力者は、動物でいえば、猫やおおかみに当たる。猫の首に鈴をかけることが、権力者の首をとることだ。

 やるべきだとされていて、それがわりあいできやすいのが、防衛費を上げることだ。やるべきだけど、それができづらいことなのが、猫の首に鈴をかけることだ。

 なんで、やるべきことだけど、それができづらくなっているのかといえば、そもそも、やるべきだとおもて立って言われていない。はっきりと、これはやるべきことなのだと言われていない。だから、できづらくなってしまっている。猫の首に鈴をかけることができづらくなっている。

 いま戦争をやっているロシアでいえば、ウラジーミル・プーチン大統領は猫やおおかみに当たるが、そのロシアにおける猫の首に鈴をかけづらい。猫の首に鈴をかけることは、やるべきことに当たるが、それをやりづらいのがいまのロシアだ。それをやるべきだとはおもて立って言われていない。おもて立って言えなくなっているのである。だから、やるべきことなのにもかかわらず、きわめてできづらくなっているのである。

 これをやるべきだとして、さかんにいわれていることなのが、防衛費を上げることだ。それがさかんに言われているのは、ほんとうにそれをやるべきだからなのではなくて、ちがうやるべきことをやらせないためなのがある。ちがうやるべきこととして、猫の首に鈴をかけることがあるけど、それをさせないようにするために、ちがうやるべきことをもち出す。

 なにがやるべきことなのかといえば、防衛費を上げることなのだとはいえそうにない。おもてで言われていることによって、裏に隠れてしまっているものがあり、その裏に隠れてしまっているところのやるべきことを見て行く。裏に隠れているところのやるべきことなのが、猫の首に鈴をかけることだ。裏に隠れてしまっているから、できづらくなってしまっている。

 おなじ価値や当為や理想論や正義論や目標の状態でも、いっぽうは表に出ていて、もう一方は裏に隠れている。表にあるものではなくて、裏に隠れているものを見て行きたい。裏に隠れているものが、本当にやるべきことであり、それが、猫の首に鈴をかけることである。権力者の首をとることだ。

 与党の自由民主党で、力を持っていて悪いことをしている政治家(元首相など)をきびしく追及して行くことがいるけど、そのやるべきことが、できていない。できづらくなっている。

 いろいろにやるべきことがあるけど、それらのなかで、できやすいものとできづらいものがあり、できづらいものにもしっかりと目を向けたい。できづらいものは、隠されてしまっていて、表に出てこないようにされているものがある。問題が潜在化されている。そこを問題化してみたい。

 やるべきことの中で、何がいちばんできづらいのかを見て行くと、それは防衛費を上げることなのではない。防衛費を上げるのは、やるべきことだとは言えないのもある。

 ロシアでいえば、やるべきことだとされているのがウクライナとの戦争だけど、ロシアがやるべきだとしていることはまちがったことだ。ロシアにおいて、やるべきことの中で、いちばんできづらくなっているのが、戦争の反対や、猫(プーチン大統領)の首に鈴をかけることだ。

 なぜロシアで、やるべきことができづらくなっているのかといえば、上から価値や当為や理想や正義を押しつけているからだ。何々であるの実在(sein)を否定している。実在のいろいろな人たちのさまざまな声を否定しているのがロシアのまちがいである。いまのロシアには(いろいろな人たちによる)声の複数性がない。

 実在を否定しないようにすれば、戦争の反対や、猫の首に鈴をかけることができやすくなる。自由があり、民主主義によっていれば、戦争の反対や、猫の首に鈴をかけることができやすくなる。ロシアや日本では、自由や民主主義が失われているのがわかる。権威主義になっているのがロシアや日本だ。

 参照文献 『社会問題の社会学赤川学社会的ジレンマ 「環境破壊」から「いじめ」まで』山岸俊男 『増補 靖国史観 日本思想を読みなおす』小島毅(つよし) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『民主主義の本質と価値 他一篇』ハンス・ケルゼン 長尾龍一、植田俊太郎訳