円安や物価高で、日本の経済はよくなる。アベノミクスではそうされている。
為替が円安になるのや、物価が高くなることで、日本の経済は良くなるのだろうか。
アベノミクスでとられている式である、円安や物価高で日本の経済が良くなるのだとするのは、まちがいなく実証できることではなさそうだ。反証される見こみがある。
アベノミクスの式が、まちがいなく実証できるのだとすれば、閉じたものになる。教義や教条(dogma、assumption)と化す。
ゆとりや溜(た)めを持たないびんぼうな人にとってみれば、売られている商品の値段が安いほうがよい。生活が苦しいから、ものを安く買えたほうがよい。だから、アベノミクスの式とは逆のもののほうがよい。
まちがいなく実証できるのだと言えるほどには、アベノミクスの式は安定してはいなさそうだ。不安定さや不確実性をまぬがれない。反証される見こみがあるのを避けづらい。
とてもびんぼうで、生活が苦しい人であったとしても、日本の経済が良くなったとすれば、さいわいなことではある。日本の経済が良くなればよいことではあるけど、まちがいなくびんぼうな人に恩恵があるかは定かではない。富のこぼれ落ち(trickle down)があるかは定かではない。ほんとうにびんぼう人が救われるのかはわからないところがある。
式の前半の、円安や物価高は、原因だ。式の後半の、日本の経済が良くなるのは結果だ。式の前半の原因と、後半の結果を分けてとらえてみたい。
式の前半の原因に当たるところは、いままさにおきている。円安と物価高がおきていて、ものの値段がじわじわと上がっているところだ。そこから、どういった結果がまねかれるのだろうか。結果としては、いまのところは、びんぼうな人の生活がより苦しくなり、よけいに苦しくなっているのがあるかもしれない。
原因と結果を切り離して見てみると、円安や物価高の原因から、どういう結果が出るのかは、いちがいには言えそうにない。そこから良い結果が出るとはかぎらず、悪い結果が出ることもあるだろう。
ご飯を食べたらお腹がいっぱいになるといったように、原因と結果の時間の流れがあるけど、これはじっさいには逆のものだ。因果の関係は、原因から結果へではなくて、じっさいには結果から原因をさかのぼってとらえることになる。
日本の経済が良くなるかどうかでは、経済が良くなったり悪くなったりする結果が出て、その原因を探ることになる。いま、日本の経済が良くなっていなかったり、びんぼうな人の生活がよけいに苦しくなっていたりするのなら、それが結果に当たる。
アベノミクスの式は、その式に現実がしたがうわけではない。式のとおりに現実が動くわけではない。因果の関係は、原因から結果へではなくて、結果から原因をさかのぼる形になるから、結果がじっさいに出てみないと何とも言えないのである。
どういう結果がじっさいに出るのかでは、日本の経済が良くなったり悪くなったりするのや、びんぼうな人の生活がより苦しくなったりまたは楽になったりする。そうした結果が出てから、それがいったいどういう原因によっておきたのかを見て行く。
日本の経済が良くなるのや、びんぼう人が救われる結果が出て、その原因を探ったさいに、円安や物価高がおきていて、たしかに原因になっていると言えるときでないと、アベノミクスの式が正しいとはいえない。式が実証されたとはいえない。そのときにかぎってのみ、式が正しいと言えることになる。
参照文献 『本当にわかる論理学』三浦俊彦 『「科学的思考」のレッスン 学校で教えてくれないサイエンス』戸田山和久 『反証主義』小河原(こがわら)誠 『反貧困 「すべり台社会」からの脱出』湯浅誠 『九九.九%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』竹内薫