軍事や防衛の、順と逆―逆説をしっかりと見て行かないとならない

 防衛費を増やして行く。軍事の力を強めて行く。日本はそれをやることがいるのだろうか。

 軍事の力(hard power)を強めて行くのは強兵の政策だ。

 軍事の力を強めて行くのは、順説(orthodox)が言われることだ。一つの仮説(doxa)である。その反対となる逆説(paradox)も見てみたい。

 逆説を見てみるとこう言える。軍事の力を強めるのは、よいことではない。悪いことだ。軍事の力を強めると、日本が悪くなる。日本がだめになって行く。さしせまった危険があるから、軍事の力を強めるのがいるのではない。軍事の力を強めるために、さしせまった危険があおられる。軍事の力の必要性がねつ造される。

 日本ではもっぱら順説が多く言われている。順説は言われるが、逆説はほとんど言われない。おもてでは順説ばかりが言われているのである。言説のあり方に大きなかたよりがおきている。

 軍事の力を強めるのは日本にとってよい。軍事の力を強めると、日本はよくなる。さしせまった危険があるから、軍事の力を強めないとならない。順説はこうした内容だ。

 日本では多く言われているものであるのが順説だが、順説はそこまで正しいものだとはいえそうにない。非の打ちどころがないほどに完ぺきに正しいものだとはいえないものである。

 つよい光が当てられているのが順説だけど、もっと逆説に光を当てて行きたい。逆説がとり落とされてしまっているのを、改めて行く。逆説をとり上げて行きたい。逆説をもっとどんどん言って行く。

 いまとかつてのいまかつて間の交通で、かつてを見てみると、かつての日本は強兵の政策をやっていた。その政策をやって、敗戦にいたった。敗戦になって、とんでもない失敗をしでかしたのである。

 かつての日本をふり返ってみると、強兵の政策をやっていて、それによって日本が戦争に勝っていたときもあるにはある。戦争に勝ち、うぬぼれがおきて、ごう慢(hubris)がおきた。ごう慢さがわざわいして、日本は敗戦することになった。

 いまがどうなのかはさしあたって置いておけるとすると、かつてにおいては、日本は軍事の力を強めることが、順説にはたらいたときもあるが、けっきょくは逆説にはたらいた。さいごには逆説になった。逆説に行きついた。

 広げるのと縮ませるのでは、軍事の力を広げる(強める)のは順説だが、縮めるのは逆説だ。軍事の力を縮小させるのが逆説である。軍縮をして行く。

 戦後は軽武装にして、日本は経済の大国になったのがあるから、逆説によって経済がよくなった。順説によって、日本の経済が良くなったのではなかった。

 順説の軍拡だと、必要性のねつ造になってしまう。逆説の軍縮だと、まさにそれがいま必要だと言えることになる。そのようにとらえてみたい。どんどん逆説を言って行くくらいでないと、順説ばかりが言われすぎていることから来るかたよりが改まらない。逆説を言いまくるくらいで、ちょうどよいくらいである。

 順だけではなくて逆もまた見るようにして、順と逆の二つを、正しさとしては五割と五割くらいにはせめて見なしたい。順が完ぺきに正しくて、逆は完ぺきにまちがっているのだとするのはやりすぎだろう。順だけではなくて、逆もまた正しいのだとして、逆の正しさをとり落とさないようにして行きたい。

 参照文献 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや) 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『「縮み」志向の日本人』李御寧(イー・オリョン) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『事典 哲学の木』永井均(ひとし)他編