日本を守ることと、正と負―正(建て前)だけが言われていて、負(本心)のところがあまり言われていない

 日本を守って行く。軍事の力を強めて、核の兵器を持つことをさぐる。

 軍事の力を強めたり、核を持ったりする。そのことを、正と負の二つの点から見てみられるとするとどういったことがわかるだろうか。

 いっけんすると、軍事の力を強めたり、核を持ったりするのは、日本にとって正に当たることのようではある。日本の防衛がより高まるかのようである。

 軍事の力(hard power)を強めるのは、日本にとって正(plus)に当たることだけなのだろうか。そこには負(minus)のことはまったくないのだろうか。

 正のことは建て前であり、負のことは本音だとしてみたい。

 正のところの建て前ばかりが言われているのがあるので、負のところをしっかりと見て行く。建て前の裏にある本音をさぐって行く。軍事の力を強めれば、日本に正になるのだと言われているが、そこで言われていないのが、負の本音のところだ。

 かつてをふり返ってみると、かつての日本は、軍事の力をどうどうと強めていっていた。正の建て前のことしか言っていなかった。負の本音のところは言われなかった。

 正の建て前では、日本の軍事の行動は正義だとされていた。じっさいにはそれは不正義だった。いろいろな不正が行なわれていたのである。日本がいろいろな不正をやっても、それはぜんぶ正義だとされていて、正の建て前だけが通用していた。負の本音が言われなかった。

 かつての日本では、正の建て前をうたがい、それを否定することが許されなかった。うらには負の本音がかくされていたけど、それが隠ぺいされていた。

 かつてのアメリカを見てみると、アメリカは戦争のさいに、日本に核の兵器を使った。日本は核によって大きな害を受けた。核を日本に使ったことを、アメリカは自己正当化している。合理化している。正の建て前をアメリカは言っているのである。

 アメリカと日本は、戦争で戦い合っていたけど、どちらもが正の建て前を言っていた。アメリカと日本のどちらの正の建て前もまちがっていた。正の建て前をうたがい、負の本音を見ることがないとならなかったのである。

 さも正しいことであるかのようにひびくのが、正の建て前だけど、そこに気をつけることがいる。戦争のさいに、アメリカは日本に核を使い、それを正当化や合理化している。それはアメリカによる正の建て前にほかならず、負の本音を隠ぺいしている。

 核を使うことは許されることではないから、アメリカが戦争のさいに日本に核を使ったことは、正当化や合理化できるものではない。アメリカが言っている正の建て前は、通じるものではない。

 戦争のさいには、アメリカと日本は戦い合っていたけど、いまではアメリカと日本はゆ着している。アメリカと日本は談合し合っている。アメリカの正の建て前と、日本の正の建て前が、合作されていて、共作されている。

 アメリカと戦争で戦っていたときには、日本は単独で悪かった。かつては日本の単独の悪さだったから、日本の正の建て前によるだけだったけど、いまでは、アメリカと日本の共同による正の建て前が言われている。

 いまの日本はアメリカ化しているから、軍事の力を強めるのと、核を持つこととのどちらもが言われている。その二つのうちで、核を持つことは、日本がアメリカ化しているあらわれだ。アメリカの悪さが、(もともと悪さを持つ)日本に持ちこまれている。

 日本がもともと持っている悪さと、アメリカに持ちこまれた悪さが合わさっているのがいまの日本だろう。ことわざでいう類は友を呼ぶ(Birds of a feather flock together.)といったことだ。おなじ羽の鳥は群れをつくる。

 正の建て前のところだけを見ると、アメリカが戦争のさいに日本に核を使ったことが正当化や合理化されてしまう。正当化や合理化できないことなのが、アメリカが日本に核を使ったことだ。それとおなじように、日本がいまさかんに正の建て前を言い、軍事の力を強めたり、核を持ったりすることがいるのだと言っているのは、そうとうにあやしい。かなりの危なさがある。

 アメリカや日本が、正の建て前を言うことには、あやしさがつきまとう。とりわけ、軍事の力を強めるのや、核を持つことがいるのだとすることには、注意することがいる。

 日本の国民は、戦争のさいには、日本の国のことを信じこまされたけど、いまでは、日本の国だけではなくて、アメリカのことも信じこまされている。日本のものだけではなくて、アメリカの正の建て前も通用しやすくなっている。

 日本(の与党の自由民主党)に甘く、アメリカにも甘い。甘くなっているのを改めて、きびしくして行きたい。甘いままだと、正の建て前を信じこまされてしまい、まただまされてしまう。かつて一回だまされて、またこりずにだまされる。こんどは、日本にもアメリカにもだまされてしまう。

 参照文献 『新版 一九四五年八月六日 ヒロシマは語りつづける』伊東壮(たけし) 『ナガサキ―一九四五年八月九日』長崎総合科学大学和文化研究所編 『国体論 菊と星条旗白井聡(さとし) 『歴史 / 修正主義 思考のフロンティア』高橋哲哉