日本を守ることと、現実論―現実からの逃避や、現実の隠ぺい

 いま、日本をとり巻く現実が、危なくなっているのだろうか。現実が危なくなっているから、日本は防衛や軍事に力を入れるべきなのだろうか。

 いったい、いまの現実はどうなっているのかと言えば、ロシアがウクライナに戦争をしかけている。中国が台湾や香港にたいして圧を強めていっている。

 ロシアや中国が、力にものを言わせている。それと同じように、日本もまた力にものを言わせる動きをとっている。

 外であるよりも、日本の内に危機がある。日本の内へ向けて批判をして行くことがいる。

 内にいろいろなまずさを抱えているのが日本だけど、その現実が隠される。現実にフタのおおい(cover)がかぶされる。フタのおおいがされることで、現実が見えなくなり、防衛や軍事に力を入れることが日本では言われている。

 いっけんすると、日本をとり巻く現実が危なくなっているから、日本は防衛や軍事に力を入れることが言われているけど、改めて見てみるとそこにはフタのおおいがかぶされている。フタのおおいをかぶせて、現実を見えなくさせて、防衛や軍事に力を入れようとしているのである。

 現実に日本が内にどういったまずさを抱えているのかと言えば、政治のいろいろな不祥事や、政治の不正がある。政治の不信がおきていて、そうとうな退廃(decadence)がおきている。

 財政では、日本の国はぼう大な借金をかかえていて、はたんがさし迫っている。とんでもないくらいのぼう大な借金を抱えていながら、日本の国の財政がはたんしないのだとするのは、神話によるものだろう。神話が通用するのだとすると、いろいろなことのつじつまが合わなくなる。現実との整合性に欠ける。

 いろいろなことが行きづまっているのがいまの日本だと言えそうだ。その行きづまりをごまかす。行きづまりの現実を見えないようにして、フタのおおいをかぶせる。そのためにもちだされるのが、日本の外をとり巻く危なさであり、防衛や軍事を強めて行くことだ。

 にっちもさっちも行かなくなっているのがいまの日本だから、やけっぱちのようになり、前につき進もうとしている。防衛や軍事の力を強める動きをすすめていて、速度を速めている。この動きは、ロシアや中国(やアメリカ)と同じあり方だ。

 どこに目を向けて、どこに着眼するのかでは、速度が速いか遅いかがある。ロシアや中国は、かなり速い速度によっていて、国の効率がよい。独裁だからである。日本もそれと同じ動きをとっている。

 速い速度によっていて、効率がよいのは、国のあり方としては危ない。独裁になっていることで、速度が速まり、効率性がよくなる。前に向かって速く進むのは、現実を見ないようにして、現実を無視していることがしばしばある。フタのおおいをして、現実を見えないようにさせる。

 フタのおおいを引っぺ返してみると、日本の政治のいちじるしい腐敗や、財政のきびしさなどの、退廃しているところがある。内に退廃をかかえているのがいまの日本だろう。適正さがなくなっているのがあり、悪いあり方がはびこっている。

 防衛や軍事を強めて行くよりも、日本の内へ向けて批判をして行く。内へ向けての批判は、フタのおおいを引っぺ返すことである。現実が見えなくなってしまっているのを、見えるようにして行く。現実を見えなくさせるフタのおおいを引きはがす、つまり内へ批判をして行くことが、いまの日本では一番いることだろう。日本の内の、中心へ、つまり与党の自由民主党(とそのとり巻き)へ向けて、きびしく批判をして行くことがいる。

 参照文献 『理性と権力 生産主義的理性批判の試み』今村仁司 『「不利益分配」社会 個人と政治の新しい関係』高瀬淳一 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『目のつけどころ(が悪ければ、論理力も地頭力も、何の役にも立ちません。)』山田真哉(しんや)