軍事による国の防衛と、話し合いなどの文化の力―目のつけどころである着眼点(変数)の重要性

 ロシアや中国が日本に攻めてくる。日本のまわりで危険性が高まっている。日本は防衛費をどんどん増やして行く動きを示している。

 防衛費をどんどん増やして行くのはやむをえないことなのだろうか。それが必要なことなのだろうか。軍事にどんどんお金をかけるのを許容してしまってよいのだろうか。

 防衛費を増やして行くのは軍事の力(hard power)だが、それとはちがう文化の力(soft power)に着目してみたい。

 文化の力を、一つの目のつけどころとして見なしてみたい。重要な着眼点(変数)としてとらえてみる。どこに目のつけどころを置くのかや、どの変数にとくに(とりわけ)目を向けるのかが大きくものを言うことがある。

 軍事の力によるのは、ロシアとウクライナが戦争をやっていることに適合するものである。現実論によるものである。

 いまロシアとウクライナが戦争をやっているからといって、そうである(何々であるの is)である現実論に適合してしまうのはよいことではないだろう。現実論に適合してしまうと、現実に埋没してしまう。現実から距離をとることがいる。

 主体としては、ロシアとウクライナがたがいに戦争をやっていて、おたがいに軍事の力を使い合っている。手段として、ロシアとウクライナは軍事の力を使っているが、これは手段としてはよいものではない。

 ロシアが軍事の力を使っているのは、手段として不当だ。ウクライナが軍事の力を使っているのは、手段として不当とはいえないが、よいものではない。よい手段を使っているとはいえないものである。

 わざわざすすんで悪い手段を使って行こうとしているのが日本だ。どういう手段がよいのかや、どういう手段がましなのかといった点が抜け落ちている。

 どういう手段がよいのかでは、日本の憲法を見てみるのが益になる。憲法では平和主義や基本的人権尊重主義がいわれているが、それらに合うような手段を用いるのがよい。それらに合わないようなものは悪い手段だと言える。

 理想論で見てみると、ウクライナは軍事の力を使いたいわけではないだろう。ロシアが外から攻めてきているから、ウクライナは(現実論としては)軍事の力を使わざるをえないのであって、必ずしもすすんで軍事の力を使いたいわけではない。そう見なすことができるかもしれない。

 軍事の力を使わずに、文化の力だけで、ロシアが軍事の力を使うのをやめさせる。ロシアが軍事の力を使ったことは悪いことだから、ロシアに非を認めさせる。ロシアが不当に支配しているウクライナの地域を、すべて解放させる。そうしたことができればもっとものぞましい。

 現実論が下で、理想論が上だとすると、どんどん下に向かっていっているのが日本だ。そうではなくて、どんどん上に向かって行くべきである。ウクライナは現実論によりながらも、理想論(上)ものぞんでいるのがあるのだから、日本は理想論のところに着目するべきである。

 理想論である、上に向かう形で、日本はウクライナを支援して行く。日本はそれをぜんぜんやっていない。軍事の力によらずに、文化の力だけでやって行くのがウクライナにとっては一番のぞましいことなのだから、日本はそれをあと押しすることに力を入れないとならない。

 いっけんすると、軍事の力によらずに文化の力でやって行くのは非現実的のようではあるが、それこそが必要なことだろう。防衛費を増やしたり、軍事の力によったりすることが必要なのではなくて、現実論によりすぎないようにして、現実を批判して行くことがいる。

 現実論で下に向かうのではなくて、理想論で上に向かうようにして、文化の力だけでやって行く。そのほうが軍事費を減らせるので安上がりだ。軍事の力を使わないようにすれば、手段として良いあり方にできる。ロシアが軍事の力を使って悪いことをしているのは、ロシアが非民主的だからなのがあり、ロシアにたいして民主化を要求することがいる。

 ロシアとウクライナの戦争を何とかするためには、ロシアが非民主的なのを改めて、ロシアに民主化を要求することがいる。民主主義は文化の力に当たるものであり、いずれにせよ、文化の力によることがいることになる。

 どのみち文化の力がいるのにもかかわらず、日本は軍事の力によろうとしていて、悪い手段を自分たちで選んでいってしまっている。手段のよし悪しを区別することがまるでできていないのが日本だ。

 ロシアはもっぱら悪い手段だけによっていて、ウクライナはよい手段と悪い手段の両方を使っているが、これらのうちで、日本はウクライナのよい手段のところに着目して、そこを大きく引き上げるようにすることがいる。それをやらないで、ロシアのとっている悪い手段や、ウクライナのとっている悪い手段のところだけを見ているのが日本だ。現実論しか見えていないのである。

 参照文献 『十三歳からのテロ問題―リアルな「正義論」の話』加藤朗(あきら) 『目のつけどころ(が悪ければ、論理力も地頭力も、何の役にも立ちません。)』山田真哉(しんや) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『相対化の時代』坂本義和原理主義と民主主義』根岸毅(たけし) 『「こつ」と「スランプ」の研究 身体知の認知科学』諏訪正樹(すわまさき)