ロシアとウクライナの戦争と、交通のあり方―軍事の交通と、非軍事の交通

 国を守る。国を防衛して行く。そのために、軍事の力を高めて行く。核兵器をもつ。そうしたことがいるのだと言われている。

 ほかの国から攻めこまれて、戦争がおきる。そうならないようにするためには、日本は軍事の力を高めるべきなのだろうか。核をもつべきなのだろうか。

 ウクライナがロシアから攻めこまれて、戦争がおきた。日本がウクライナのようにならないようにして行く。そのためには、日本の国の軍事の力を高めればよいのかと言えば、必ずしもそうとは言い切れそうにない。

 ウクライナにロシアが攻めこんで戦争がおきているのを、交通の点から見てみられる。交通の点では、軍事によるのと、非軍事によるのとの二つの点をあげられる。

 軍事によるのでは、ロシアが軍をウクライナに送りこんだ。攻めこんだ。ロシアからウクライナへの一方向の単交通だ。

 ウクライナからしてみれば、ロシアから攻めこまれたのだから、受動であり、逆向きの単交通だ。自分たちからの能動ではなくて、自分たちへ向けられる(何々される)ような逆方向の単交通である。

 非軍事の点を見てみられるとすると、意思の疎通の失敗をあげられる。意思の疎通がうまく行っていれば、お互いの国どうしで交通がなりたっている。意思の疎通がなりたっていなくて、おたがいの国どうしで交通がなりたっていないことで戦争がおきることがうながされた。

 おたがいの国どうしで密でひんぱんに意思の疎通ができていれば、戦争はおきづらいだろう。密でひんぱんに意思の疎通ができていれば、外交がうまく行っている。外交によって戦争がおきることをかなり防げる。

 話し合いによる交わりが国どうしでできていれば、双方向性による双交通がなりたつ。国どうしの争い合いで、うまい落としどころを見つけることができる見こみがあり、よりよいあり方である異交通にして行ける。異交通にできるのは、西洋の哲学の弁証法(dialectic)で、正と反と合がある中で、合の止揚(aufheben)にもって行けることをしめす。

 話し合いによる交わりができていれば、みずみずしいうるおいがあるあり方だけど、話し合いができていないとうるおいが欠ける。からからに干からびることになる。国どうしのあり方は、うるおいが欠けてからからに干からびることがおきがちだ。

 学者のユルゲン・ハーバーマス氏は、意思の疎通がしっかりとできているのを、水や太陽の光が十分にあることになぞらえている。意思の疎通ができていないのは、水がとぼしくて、太陽の光がさしていない。水も日光もなくなっている。

 それぞれの国で国家主義(nationalism)が強いと、うるおいが欠けてからからに干からびる。水分がなくなってからからに干からびていると、戦争がおきやすくなる。からからに干からびている中では、戦争がおきやすい。

 お互いに意思の疎通ができていなくて、交通がさえぎられた反交通になっていると、ほかの国への不信が強まり、ぎしんあんきになる。信頼できない。価値を共有し合えない。気を通わせ合えなくなる。気が通じ合わなくなる。

 からからに干からびてしまっているのをそのままに放ったらかしておくと、国どうしではげしいぶつかり合いがおきかねない。水分が足りなくなっているのを、改善して行くことがいる。たとえ自国の軍事の力を高めても、水分が足りなくなっているのを改めることにはつながらない。いかに水分をおぎなってやり、国どうしで意思の疎通を深めて行けるのかが大事だ。

 国の防衛をみて行くさいには、国の軍事の力を高めて行くよりも、いかに水分が足りなくなっているのを補ってやるのかが重要な点だ。国の内や外のいたるところで水分が足りなくなっていて、からからに干からびてしまっている。交通が行なわれなくなっていて、反交通になっている。反交通になっているのを双交通に改めて行く。反交通のままだと、交わりがなくなっているから、断絶したままになる。

 ロシアやウクライナにかぎらず、世界の多くの国では、水分が足りなくなっている。からからに干からびていて、雨がふらず、日照りがつづいている(または日光がさしていない)。きびしく見てみればそう言えるのがあり、第三次世界大戦がおきかねない。

 日本の与党である自由民主党岸田文雄首相は聞く力をいっている。岸田首相に聞く力が本当にあるのかどうかはさしあたっては置いておきたい(前々首相や前首相よりはほんの少しはあるかもしれない)。国において聞く力があれば、国どうしで交通を成り立たせやすい。反交通を改めて、双交通にしやすい。いまは世界中で、どこの国も、聞く力がなくなっている。受けとめる力がなくなっている。国がなすべき説明責任(accountability)がはたされず、聞く力もないので、国どうしで争い合いがおきやすくなっている。

 非軍事のところである、説明責任や聞く力を高めて行くのでないと、戦争を防ぐことはできづらい。いくら国の軍事の力を高めていっても、非軍事のところの説明責任や聞く力を高めることにはつながらない。軍事のところの交通ではなくて、非軍事のところの交通(つまり外交)をいかにきちんとできるのかが、国の防衛のためにはいちばん大切なことだろう。日本の国をみてみれば、外交がいちじるしく下手であり、外交の努力がほとんどできていないと言える。きびしく言えばそう言えるのがある。

 参照文献 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『ネットが社会を破壊する』高田明典(あきのり) 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『十三歳からの日本外交 それって、関係あるの!?』孫崎享(まごさきうける) 『なぜ「話」は通じないのか コミュニケーションの不自由論』仲正昌樹(なかまさまさき) 『「説明責任」とは何か メディア戦略の視点から考える』井之上喬(たかし) 『〈聞く力〉を鍛える』伊藤進