ロシアとウクライナのあいだで戦争がおきている。
敵の国と戦うのが戦争であるとすると、それをどのようにとらえられるだろうか。
西洋の哲学の弁証法(dialectic)でいえば、正と反と合がある中で、敵の国は反に当たるものだ。
戦争においてロシアがやっていることは、反をほろぼそうとすることだろう。反である敵の国のウクライナをほろぼそうとしている。
正の自国のロシアがもっている力によって、反である敵の国を攻撃して行く。正の自国がもっている軍事の武器であるミサイルを、反である敵の国にうち、敵の国をこわして行く。正の自国がもつ核兵器を使うことをほのめかす。
正の自国の言うことを聞かないのであれば、反の敵の国をほろぼすことをいとわない。反の敵の国がほろんでもかまわない。正の自国にとって、都合が悪いのが反の敵の国なのだから、じゃまなものはいなくなればよい。
現実論によって見てみれば、正であるロシアのもつ力は強くて、ミサイルや核兵器をもつ。反であるウクライナはロシアほどには力を持っていない。ロシアのほうが力が上回っているから、ロシアの言いぶんが通り、ウクライナはそれを飲まされてしまう。そうなる見こみがある。
力によるのとはまたちがった形の現実論によるようにすれば、こうも言えるだろう。正であるロシアにとっては、都合が悪くてじゃまな反であるウクライナはいなければよい。またはロシアの言うことを反であるウクライナが聞き、(反であるのをやめて)正であるロシアと同じになればよい。
ロシアの思いえがく理想論としては、ロシアにとっては都合が悪くてじゃまなウクライナがいなければよい。またはロシアの言うことをウクライナが聞き、ロシアに従えばよい。
現実論においては、ロシアとウクライナは敵対していて、戦争をおこしている。かりに、ウクライナがなければ、ロシアはウクライナと敵対して戦争をすることはない。ウクライナがなければよいとするのは、ロシアにとっての理想論だが、現実論としては、ウクライナはげんぜんとしてある。
ウクライナが無いのではないし、またロシアにとって都合がよい形でウクライナがあるのでもない。ウクライナがげんぜんとしてあり、なおかつロシアにとって都合が悪い形としてある。それが現実論で見たさいのありようだ。
ロシアがやるべきことは、ロシアにとっての理想論をとるのであるよりも、現実論によるようにするべきだろう。現実論によるようにして、正であるロシアにとっての反に当たる形でウクライナがあることを認める。反としてのウクライナがあることをこばんで、それを否認してしまうのではなくて、是認する。
正であるロシアにとっての反としてウクライナがあることを、ロシアはきちんと認知して行く。そのうえで、正であるロシアと反であるウクライナが、うまく合にいたるようにして止揚(aufheben)して行く。
反があることをこばんで否認するのではなくて、それがあることを認めて行くのは承認の正義だ。ロシアは反であるウクライナを否定してしまっているので、承認の正義ができていなくて、不正義になっている。
正であるロシアにとっての反であるウクライナを、敵の国(enemy)だとしてしまうと、敵の国をほろぼそうとしてしまう。そうではなくて、反であるウクライナを、よき競争の相手(adversary)だと見なす。
戦争をやり合うのは、かなりまじなものだけど、それを遊びみたいなものにずらして行く。遊びといってしまうと不まじめに響いてしまうけど、人間が遊ぶ人(homo ludens)であることをくみ入れて、よゆうをもたせる。人間は遊ぶ人だとしているのは、学者のヨハン・ホイジンガ氏だ。
まじなものに、遊びをとり入れて、はげしい国どうしの敵対の関係性(antagonism)を、闘技の関係性(agonism)に変えて行く。遊びのかたちで闘技(agon)を行ない合う。
ロシアがやらなければならないのは、ウクライナとのあいだの敵対の関係性を、闘技の関係性にすることだ。それでウクライナと闘技をやって行く。正と反を合にして止揚して行く。いまのところロシアはそれがぜんぜんできていなくて、合の止揚にいたれていなくて、正と反の不毛なぶつかり合いがつづいている。
正と反の不毛なぶつかり合いを止めて、合の止揚にいたるようにするためには、まじなのを遊びのようにするのや、客むかえ(hospitality)がいる。ロシアは、まじになっているのを止めて、遊びのようにして行くか、ウクライナを客むかえしてよき歓待をするべきである。
参照文献 「排除と差別 正義の倫理に向けて」(「部落解放」No.四三五 一九九八年三月)今村仁司 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『ナショナリズム(思考のフロンティア)』姜尚中(かんさんじゅん) 『市民の政治学 討議デモクラシーとは何か』篠原一(しのはらはじめ) 『十三歳からのテロ問題―リアルな「正義論」の話』加藤朗(あきら)