ロシアとウクライナの戦争と、経済の悪さ―経済と軍事の結びつき

 ロシアとウクライナのあいだで戦争がおきている。

 戦争がおきたもとにはいったいどういったことがあるのだろうか。いろいろなことが関わっている中で、経済をあげてみたい。

 経済としては、格差と、経済を優先させすぎなのがある。

 階層(class)の格差がおきていると、戦争がうながされる。格差があることがわざわいする。

 格差が悪さをもたらすのとは別に、経済そのものを優先させすぎなのがある。経済を優先させていることで、軍事の力が高まることになり、戦争がうながされる。

 戦前の、明治の時代から、日本では富国強兵がいわれた。富国は国を富ませることであり、経済に力を入れて行くことだ。それとともに強兵も行なわれていったのがあり、日本は軍事の国家になった。軍事の国家になっても、国を守ることができなかったのが日本だ。

 富国によって経済に力を入れて行くのは蓄積だ。蓄積をして行くことによって、蕩尽(とうじん)や消尽(しょうじん)がおきることになる。蕩尽が悪いかたちで出たものが戦争だ。

 経済の景気が悪くなったり、階層の格差が深刻になったりすることによって、戦争がうながされてしまう。経済が悪くなると戦争がおきやすくなるのがあるが、それだけではなくて、経済と軍事の結びつきがあり、そこの危なさもある。

 経済と軍事の結びつきでは、経済を優先させてそれに力を入れて行くと、蓄積に軸足を置くことになる。蓄積に軸足を置くと、ふり子が反対の極に振れるように、やがて蕩尽に向かって行く。蓄積の極から、蕩尽の極へと向かう。蕩尽の極に向かったさいに、それが悪いかたちで出ると戦争がおきる。

 蓄積の極に軸足を置いていると、ふりがきいていることになり、蕩尽の極に向かうことが予想される。ふり子が一方の極に振れすぎることになり、もう一方の反対の極に向かう力が高まる。

 戦争をおこさないようにするためには、経済に力を入れていって、蓄積に軸足を置けばそれでよいのだとは言えそうにない。経済に力を入れると、軍事にも力を入れることにつながる。経済を優先させることで、自然の環境を壊してしまう。いろいろな負のことがおきることになり、逆機能(dysfunction)がおきる。

 正の順機能(function)だけではなくて、負の逆機能がいろいろにおきてしまうから、経済に力を入れすぎるのは必ずしもよいことではない。経済に力を入れて、蓄積に軸足を置くことは、豊かになることを意味するものではない。

 豊かさは、蓄積にあるのではなくて、蕩尽にある。蕩尽では、贈与の原理などがある。蓄積によるのだと、市場の原理によることになるから、階層の格差がおきることをうながす。

 負の逆機能がおきすぎないようにするためには、経済に力を入れすぎず、経済はほどほどにしておいて、(成長ではなくて)定常の経済になるようにする。あるていどのところで経済に力を入れるのをやめて、定常の経済にして行く。

 地球にあるいろいろな自然の資源には限りがある。かぎりがある自然の資源を使いすぎてしまっていて、使う量にかなり抑えをきかせなければならなくなっている。資源の使いすぎに、歯止めがかからなくなっているのがいまのありようだろう。経済に力を入れすぎていることによる。

 軍事と結びついてしまっているところが経済にはあり、アメリカでは軍産複合体が力を持っている。軍需の産業を富ませるような悪いことが行なわれてしまっている。経済の中には、いろいろなものが含まれていて、その中に軍事も含まれているから、軍需の産業を富ませるような悪いことがおきてしまう。軍需の産業は、(人を生かすのではなくて)人を殺すための武器などの物を作る産業だ。

 豊かになるようにするには、蓄積ではなくて、蕩尽がいる。蓄積によっているだけだと、豊かであることにはならない。経済に力が入れられすぎていて、蓄積に軸足が置かれすぎていることで、圧縮力が高まるようなことになっている。

 蓄積は、豊かであることを意味しないから、そこに軸足を置きすぎると、人々の不満がたまって行く。人々の不満がたまりつづけて、圧縮力が高まることになり、危なさがおきてくる。圧縮力が高まりすぎると、それは爆発力の高さに正比例するから、蕩尽の極にいっきに振れることになる。悪いかたちで蕩尽に向かったさいにおきることになるのが戦争だ。

 グローバル化がおきていて、世界の全体で経済に力が入れられすぎている。世界の全体で、一元の経済のあり方がとられている。画一化したあり方だ。多様性に欠けていて、多元性がない。それによって人々の不満がたまっていっていて、圧縮力が高まっている。

 きちんと民主主義ができていれば、てきどに圧縮力が外に吐き出されて行く。民主主義がこわれていて、権威主義になっていると、圧縮力がこまめに外に吐き出されない。乱雑さ(entropy)がたまりつづけて行く。権威主義だと、あるときにいっきょに爆発がおきることになり、日本でいえば、江戸時代の幕末のあとの明治維新のときや、第二次世界大戦の敗戦のすぐあとのときなどがあげられる。

 世界の全体で圧縮力が高まっているのがあり、蓄積の極に振れているから、それが反対の蕩尽の極にいっきに振れるおそれがある。いまは、ロシアとウクライナが戦争をやっているけど、それは、悪いかたちで蕩尽の極に振れてしまったものだといえそうだ。世界の全体で、圧縮力が高まっている中で、部分として局地(local)において爆発がおきたものだと言える。世界の全体にまでそれが広がれば、世界の全体(global)で爆発がおきることになり、世界大戦になるおそれがある。

 参照文献 『理性と権力 生産主義的理性批判の試み』今村仁司 『グローバリゼーションとは何か 液状化する世界を読み解く』伊豫谷登士翁(いよたにとしお) 『民主主義の本質と価値 他一篇』ハンス・ケルゼン 長尾龍一、植田俊太郎訳 『環境 思考のフロンティア』諸富徹(もろとみとおる) 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『「定常経済」は可能だ!(岩波ブックレット)』ハーマン・デイリー 枝廣(えだひろ)淳子(聞き手)