ロシアとウクライナの戦争と、戦争がおきたわけ―なにが原因なのか

 なぜ、ロシアとウクライナの戦争がおきたのだろうか。それを問いかけてみたい。

 民間の自動車会社のトヨタ自動車では、なぜの問いかけをくり返して行くことが行なわれている。くり返しなぜの問いかけを行なって行き、問題の核となる要因を探って行く。

 なに(what)となぜ(why)の二つに分けて見てみると、なにの点では、戦争がおきているのをさし示せる。なにの点だけではなくて、なぜの点からも見て行くようにしたい。なぜそうなのか(why so?)を見ていって、それだから(so what?)戦争がおきたのだといったように見られる。

 ロシアが一方的にウクライナに攻めこんで、戦争がおきることになった。戦争がおきたことは現象であり、その現象がおきたことの主となるもとはロシアにあるから、ロシアを批判することはいることだろう。

 現象として戦争がおきたことについては、ロシアを批判することがあったほうがよい。それにくわえて、その現象がなぜおきたのかの原因を探って行く。原因を探って行くことが同時に行なわれればよい。

 現象としての戦争がおきた原因を探って行く。どのようなことが原因となって、結果としての戦争がおきることになったのか。いちばん核となる要因を探って行き、そこにたいして手を打って行く。表面の現象にたいして手を打つのではなくて、核となる要因のところに手を打つようにすれば、再発を防ぎやすい。

 もれなくだぶりなくの MECE(相互性 mutually、重複しない exclusive、全体性 collectively、漏れなし exhaustive)で見て行く。MECE で見ていって、戦争がおきることになったいろいろな要因をもらさないようにして行きたい。

 どのような要因がもとになって戦争がおきることになったのかでは、一つだけではなくていろいろな要因があるものだろう。それらのいろいろな要因を、体系(system)として見て行く。

 いろいろな要因があげられる中で、その中の一つとして、悪をあげられる。世界の中に悪がまん延してしまっている。ロシアの国の中にだけ悪があるのではなくて、世界のいろいろなところに悪が拡散している。世界でグローバル化がおきていることによる。

 ロシアが悪いと言えるだけではなくて、広く世界において悪がおきていて、そのことがロシアとウクライナで戦争がおきたことに関わっている。世界にある悪としては、たとえば、中国の国の政治の権力による悪をあげられる。中国はロシアをよしとしてしまっているのがある。

 悪は定義づけをするのがむずかしいものであり、多義性やあいまいさをまぬがれないものだ。定義づけがむずかしいのがある中で、一つには悪は病や退廃(decadence)や虚無(nihilism)だと言えるだろう。死の欲動(thanatos)である。

 人間は過剰性の活力をもっているのがあり、蓄積と蕩尽(とうじん)の両極性をもつ。悪いかたちの蕩尽や消尽(しょうじん)になるのが戦争だ。死の欲動があらわれ出たものが戦争である。

 ロシアの一国だけにかぎったことではなくて、世界のいたるところに悪が広まっている。グローバル化している中でそれがあって、世界において病理がおきている。世界の病理が、ロシアとウクライナのところに表面化した。世界において、悪を止められなくなっていて、悪がはびこるのを許してしまっている。それがわざわいしている。グレシャムの法則がはたらいていて、悪貨が良貨を駆逐してしまっている。

 参照文献 『悪の力』姜尚中(かんさんじゅん) 『悪と暴力の倫理学熊野純彦、麻生博之編 『トヨタ式「スピード問題解決」』若松義人 『考える技術』大前研一 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『「Why 型思考」が仕事を変える 鋭いアウトプットを出せる人の「頭の使い方」』細谷功(ほそやいさお) 『グローバリゼーションとは何か 液状化する世界を読み解く』伊豫谷登士翁(いよたにとしお)