アベノミクスと、限定と普遍―アベノミクスは限定されたものでしかなかった

 アベノミクスはうまく行ったのか。日本の経済は良くなったのだろうか。

 経済では、思想家のジョルジュ・バタイユ氏のいう、普遍の経済(学)がある。

 限定の経済(学)だったのがアベノミクスだ。有用性の回路の中でやっていた。有用性の回路の外のことがとり落とされていた。

 普遍の経済によるようにするには、有用性の回路の外に出ることがいる。それがなかったのがアベノミクスだ。あくまでも有用性の回路の中にとどまりつづけたのである。

 有用性の回路の外には、呪われた部分がある。呪われた部分としては、借金がある。日本の国の財政は、ぼう大な借金の山をかかえている。借金が減るどころか増えつづけていっている。

 経済とは話がちがってしまうけど、歴史においては、日本の国の負の歴史がある。これは呪われた部分だ。有用性の回路の外にあるものだ。安倍晋三元首相は、あくまでも有用性の回路の中にとどまりつづけようとした。有用性の回路の外に出ようとはせずに、回路の中にいつづけたので、呪われた部分をとり落とした。

 そうとうに限定されたものだったのがアベノミクスだった。限定された中でのものだった。普遍の経済にいたるものではなかったのである。有用性の回路の中にとどまりつづけたことによって、普遍の経済にいたらなかったのである。

 愛国か反日かでいうと、愛国は限定の経済学であり、有用性の回路の中のものだ。有用性の回路の外にある、呪われた部分に当たるのが反日であり、それをくみ入れるようにしないと、普遍の経済にはいたらない。

 経済だけではなくて、歴史などをふくめて、広い意味でいって、限定されたことしかできなかったのが安倍元首相のなしたことだ。かなり限定されたことしかできなくて、限定の経済でしかなかった。普遍の経済ではぜんぜんなかった。

 財政では、日本はぼう大な借金の山をかかえているのだから、それをくみ入れるようにしなければ、普遍の経済にはいたらない。不利益分配の政治をどうするのかをしっかりとやって行くようにしないと、呪われた部分をくみ入れることができない。

 日本の悪いところやだめなところをどんどん見て行くようにしないと、呪われた部分をくみ入れられない。有用性の回路の外に出ることができない。日本はいろいろなマイナスの負のものを抱えこんでいるけど、それらがあたかも無いかのようにされてしまっている。プラスの正のものしかないかのようにされている。

 アベノミクスがうまく行ったかどうかでは、よい結果が出たかどうかであるよりも、やり方のまずさがあった。やり方として、限定の経済でやってしまったために、呪われた部分をくみ入れられていない。いろいろなとり落としがおきている。不利益分配の政治へのとり組みがなかった。

 ほんとうに意味があることをやるためには、呪われた部分をくみ入れるようにしていって、不利益分配の政治をしっかりとやって行く。不利益や負担の分配をどうするのかをしっかりと探って行く。有用性の回路の外に出るようなことをやらないとならない。それを避けてしまったから、アベノミクスはやり方としてだめだった。

 アベノミクスがだめだったといったさいに、ただたんにだめだったのであるよりも、よいけどだめだったことになる。ただたんにだめだったと言えるほどに単純ではないのはたしかだ。何々だけどの逆接の接続詞が入るような、ねじれがあり、複雑性があるのがいまの世の中だ。

 薬と毒の転化(pharmakon)でいえば、薬が毒になったかたちでだめだった。毒が薬になる形であったとしたら、だめだったけどよかったとなる。だめだけどよかった。たんに良かったと言えるような、たんに薬であるだけのことは、できづらいものだろう。不利益分配の政治をやるとすれば、毒を薬にするのを試みることになる。

 参照文献 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『「不利益分配」社会 個人と政治の新しい関係』高瀬淳一 『歴史 / 修正主義 思考のフロンティア』高橋哲哉