ロシアのいまの戦争と、革命―革命の延長としての戦争

 ロシアはいま、ウクライナと戦争をやっている。

 ロシアのいまの戦争を、戦前と戦中と戦後に分けて見てみるとどういったことが言えるだろうか。

 革命として働くのが戦争だとされるのがある。戦争革命説だ。学者のE・H・カー氏などによる。

 日本では、歴史として、つねに戦後のものとして民主主義がおきた。民主主義、つまり戦後の民主主義なのである。戦後の民主主義としてしか民主主義はおきなかった。

 近代に入ってから二〇世紀の前半くらいまでは、日本は戦争にあけくれていて、戦争をやりつづけてきたのがある。日清、日露、第一次世界大戦、日中、太平洋戦争などをやってきたけど、それらの戦争のあとに、戦後の民主主義がおきたのである。

 いまの日本の民主主義はそうとうにこわされてしまっていて形骸(けいがい)化しているけど、これはたんなる民主主義なのではなくて、戦後の民主主義に当たるものだ。日本が戦争(十五年戦争)をやって、敗戦して、革命がおきて、民主化されたのが、いまの日本のありようだ。

 ロシアはいま戦争をやっているから、革命がおきているとも言えそうだ。戦争が終わったあとには、革命がなされることになり、それまでのロシアのあり方が変わる見こみがある。

 どういったことが革命としておきるのかといえば、国の中においては民主化がおきたり(非)軍事化がおきたりすることがあるという。国の外では(脱)植民地化や国際化がおきることがあるという。

 日本の戦後では、どういうことが革命としておきたのかといえば、それまでの日本の体制が変わった。国の中では民主化がおきて、非軍事化がなされた。国の外では、脱植民地化がおきて、国際化がなされたのがある。脱植民地化では、それまでに日本が持っていた東洋の植民地を、敗戦したことで日本はすべて失った。

 いまロシアがやっている戦争が、いつ終わるのかはわからないし、終わりがちゃんとやって来るのかもわからないけど、もしも終わることになれば、戦後がおきることになる。戦後になれば、ロシアに革命がおきることになり、良く変わるか、または悪く変わるかすることになる。

 戦後がおきて、もしもロシアがよく変われば、戦後の民主主義がロシアにおきることになる。非軍事化がおきて、日本の憲法九条のようなものが作られることがあるかもしれない。そうなったら、日本と同じように、ロシアは世界で先進の憲法を持つことになりそうだ。いまの日本は憲法九条を変えようとしているから、世界で先進のものを手放そうとしているのがある。

 憲法九条は、理想論によるものであり、現実論とのあいだにみぞが開きすぎているのはいなめない。その欠点があるのはたしかだけど、戦争に敗戦して、革命がおきたことで、日本が非軍事化することになり、それで作られたものなのがある。いまの日本はまた軍事化につき進んでいるのがあり、強兵の政策をとっている。

 戦争に敗戦して、それで革命がおきて、非軍事化したのが日本だから、それは良かったことなのだと見なしたい。非軍事化や民主化がおきたので、日本は良くなったけど、その中で作られた憲法九条を変えようとしているし、また軍事化につき進んでいて、危なさがおきている。

 革命がおきたことによって作られたものである、憲法九条は、価値がそれなりに高いものなのだと見なしたい。敗戦したあとに、革命によって、非軍事化や民主化をなすことになったのが日本だけど、それら(非軍事化や民主化)の価値はそれなりに高いのがあり、そこをいまいちど見直すようにしたい。

 敗戦して、革命がおきることによってしか、日本は民主化や非軍事化することができなかったのがある。日本はおろかだった(現在形でもある)ので、国の内や外にとんでもない害や損をもたらすような大きな失敗である、戦争に敗戦することによってしか、自分たちのまちがいに気がつかなかったのである。

 いまの日本がこれから戦争をやって、それで革命をなすのだと、同じまちがいをふたたびくり返すことになる。非戦や不戦や反戦をちかったのが、敗戦のすぐあとの日本だから、そこをふたたび思いおこすようにしたい。

 参照文献 『近代日本の戦争と政治』三谷太一郎 『ポストコロニアル 思考のフロンティア』小森陽一憲法という希望』木村草太(そうた) 『右傾化する日本政治』中野晃一