日本の社会を変えないことと、秩序を保つこと―秩序の志向が日本は強すぎる

 同性どうしの結婚や、夫婦の別姓をみとめる。そうすると、日本の社会が変わってしまう。変わってしまうのは良いことではないとしているのが、岸田首相だ。

 同性婚や夫婦の別姓をみとめると、日本の社会が変わってしまうから、良いことではないのだろうか。自由民主党岸田文雄首相が言っていることは、ふさわしいことなのだろうか。

 日本の社会といったさいに、その社会についてを、構築主義(constructionism)の点から見られる。

 人間が作った人為のものなのが社会だ。人為で作ったものなのが社会なのだから、それには可変性がある。

 いまの日本の社会のありようが、まちがいのない自明さを持っているのだとはいえそうにない。自明さがなくなっていて、そこには完ぺきな必然性があるとは言いがたい。

 保守に当たるのが量の正義だ。革新に当たるのが質の正義だ。

 自民党はどういうあり方なのかといえば、いまの日本の憲法については質の正義によっている。何としてでもいまの憲法を改正しようとしている。

 少数者や女性の権利(女権)をもっとしっかりとさせようとすることについては、自民党は量の正義によっている。少数者の権利や女権(じょけん)をもっとしっかりとさせて行くのは、質の正義によることだけど、その点に関しては自民党はちがう正義(量の正義)によっているのだ。

 二つのちがう正義があって、自民党はそれを使い分けている。あることについては質の正義によっているが、ちがうことについては量の正義によっているのだ。

 二つのちがう正義の、どちらかだけが正しいのだとはいえそうにない。たとえば憲法の改正だったら、改正することつまり質の正義だけが正しいのだとはいえず、憲法を守りつづけることつまり量の正義もまた正しい見こみが少なからずある。

 人為で作ったものであり、構築性があるのがいまの日本の憲法だから、それを改正しようとするのは必ずしもまちがったことではないだろう。憲法について、質の正義をもち出すのは、かならずしも正しくないことではない。

 憲法だけではなくて、日本の社会のあり方についても、そこには構築性があるのだから、質の正義をもち出して、社会のあり方を変えて行くのはあったほうが良いことだろう。日本の社会のあり方を、何でもかんでもとにかくどしどし変えていったほうが良いとはいえないが、まちがったあり方になっているところについては、色々に変えていったほうが良い見こみがある。

 社会のあり方では、それを保守するのは他律(heteronomy)だ。自民党は、社会のあり方を変えようとするのについては他律のところが強い。慣習の他律によるのではなくて、反省の自律(autonomy)によるようにして行く。

 どんどん反省をしていって、自律のあり方にして行くことが、いまの日本ではいることだろう。なぜ自律にして行くのがいるのかといえば、日本の社会の中で、生きて行くのに苦しんでいる人たちが少なからずいるのを、救うのがのぞましいからだ。

 生きて行くのに苦しんでいる人たちが日本の社会の中にいて、その人たちを救うためには、日本の社会の価値観を変えて行くことがいる。差別や排除の価値観になってしまっているのが日本の社会にはあるから、社会を変えて行く、つまり社会の価値観を変えていって、苦しんでいる人たちが少しでも救われるような社会のあり方になるようにして行きたい。

 人それぞれによっていろいろな見かたはあるものの、その中で、いまの日本の憲法については、それを守っていって、憲法で言われている個人の私を重んじるありようを、日本の社会でもっと高めて行く。個人の私をどんどん重んじていって、個性(のちがい)が重んじられるようになったら良い。

 参照文献 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『憲法という希望』木村草太(そうた) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『発想のための論理思考術』野内良三(のうちりょうぞう) 『事例でみる 生活困窮者』一般社団法人社会的包摂サポートセンター編 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『倫理学を学ぶ人のために』宇都宮芳明(よしあき)、熊野純彦(くまのすみひこ)編 『「自由」の危機 息苦しさの正体』藤原辰史(ふじはらたつし)他 『「ネコ型」人間の時代 直感こそ AI に勝る』太田肇(はじめ)