自民党に殺されることと、なぜそうなのかの問いかけ―生存と、憲法

 自民党に殺される。ツイッターハッシュタグで、そう言われていた。

 いまは為替の円安と物価高がおきているから、生活が苦しい人がおきている。それで、与党の自由民主党に殺されてしまうのだろうか。

 殺されるのについて、なぜそうなのか(why so?)の問いかけを投げかけてみたい。

 なぜ自民党に殺されるのだろうか。なぜなのかといえば、それは自民党がいまの日本の憲法をこわしているからだ。そう見なしてみたい。

 憲法を何がなんでも改正しようとしているのが自民党であり、それによって、国民を殺すことにつながっている。

 国民を殺さずに生かして行くためには、憲法を守って行かないとならない。なぜそう言えるのかといえば、憲法は基本の人権(fundamental human rights)をほしょうしている。生存権をほしょうしている。

 平和な中で生きて行くことができるようにする、平和の生存権を定めているのが憲法だ。憲法を守るようにすることによって、人々が平和な中で生きて行けることにつながる。

 自民党に殺されないようにするには、じかに自民党をどうにかする(何とかする)のとはべつに、間接には、いまの日本の憲法を重んじて行く。憲法に関心をもつようにして、関心を高めて行く。

 憲法を重んじるようにして行き、関心を高めて行けば行くほどに、自民党に殺されづらくなる。お花畑のような、あんちょくなことを言ってしまっているかもしれないが、そうとらえてみたい。

 自民党に殺されるといったさいに、自民党は国の権力であり、国がしでかしがちな失敗がおきることになる。国がやりがちな失敗としては、人権のしんがいや、むぼうな戦争や、独裁による権力のらん用がある。

 いくらきちんとしたまっとうな憲法を持っているのだとはいっても、日本では、これまでに十分に人権を守ってきたとはいえないところがある。とくに、弱者や少数者の人権がしんがいされることが行なわれてきた。いまも、出入国管理の場所では、外国の人たちの人権がいちじるしくしんがいされることがおきている。ほかにも少数の民族の人たちなんかの人権がしんがいされるのも目だつ。

 とくに可傷性(vulnerability)をもつ人たちは、人権がしんがいされやすい。悪玉化(scapegoat)されやすい。排除や排斥されてしまう。国がそれをけしかけるのがあるから、それに歯止めをかけたい。国は人権のしんがいの失敗をしでかしがちだから、それを止めるようにして行きたい。

 国がやりがちな三つの大きな失敗があるけど、それをできるだけ防いで行けば、自民党に殺されづらくなる。まっとうな統治(governance)が行なわれるように、権力の分散化をして行き、一元ではなくて多元の支配にして行きたい。一元ではなくて、少なくとも二元によるような、対抗の社会(反対勢力 opposition が活躍するあり方)にして行く。

 できるだけ自民党に殺されないようにして行くためには、憲法や、近代の立憲主義が大切なのが見えてくる。それらを重んじるようにしていって、これまでに自民党によってこわされてしまっている自由主義(liberalism)を立て直して行きたいものである。

 参照文献 『憲法という希望』木村草太(そうた) 『憲法主義 条文には書かれていない本質』南野森(しげる) 内山奈月超訳 日本国憲法池上彰(いけがみあきら) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫現代思想を読む事典』今村仁司