芸能界の性の加害と、法―いまの法律(または裁判)によるだけでよいのか

 法によって、被害者を救うようにする。その時々の法によって、加害者と被害者のもめごとを片づけて行く。

 日本の芸能界における性の加害は、法や裁判によって何とかするのがよいのだとテレビ番組の出演者は言う。

 テレビ番組の出演者が言うように、性の加害者と被害者の対立を片づけるのは、法の決まりによってやって行くのがよいのだろうか。

 法によるだけでは十分ではない。法律だけでは被害者をすくい切れない。法律によらないで、被害者を救うのもなければならない。弁護士の人は、そう言っていた。

 その時々の法は、具体のものだ。いまの時代の法律は具体論に当たる。かつての時代の法律もまた、具体論のものだ。

 具体論によるだけではなくて、抽象論をもち出す。抽象論をもち出してみると、抽象としての法の重要さが見えてくる。

 形式論に当たるのが、法の決まりだ。制度の正義である。その時々の法律は制度だ。いまの時代の法律は、いまにおける制度だけど、その制度がどれくらい正義によっているのかがある。より正義によるようにして行くことがいり、制度を改善して行くこともいる。

 制度であるのが法律だけど、それの上位にあるのが憲法だ。制度としてより上位にあるのが憲法であり、憲法の大切さが浮かび上がってくる。

 日本の憲法の三大の主義の一つなのが基本的人権(fundamental human rights)尊重主義だ。性の加害は、すべての個人がもつ基本の人権をしんがいすることだから、よくない。そう見なすことがなりたつ。

 具体論の法律よりも、より抽象のところを見てみると、規則(rule)のあり方をもち出せる。規則は大前提に当たるものだ。規則と適用(application)と結論(conclusion)の三つの段階があって、規則のところは条件文(if の文)だ。

 規則のところの条件文は、会社であれば、A 社(たとえばジャニーズ事務所など)だけに当てはまるものではない。A 社は具体によるものだけど、そうではなくて抽象論による規則であることがいる。

 具体論の A 社だけではなくて、会社であれば、ある社がこういうことをしたら、その社はこういうことになる、といったふうであることがいる。人であれば、A 氏だけではなくて、(たとえ誰であったとしても)だれだれ氏がこういうことをしたら、だれだれ氏はこういうことになるとすることがいる。

 大前提の価値観となるのが規則だ。そもそもこうであるべきだといったものだ。たとえば、性の加害をなした会社があるとすれば、その会社は報道によってきびしく批判されるべきだ、といったことがあげられる。

 そもそもどうであるべきかを見てみる。それを見てみることによって、規則が何なのかを見ることにつながる。自分が良しとする規則は何なのかがあり、それが他の人と同じなのかそれともちがうのかを見て行く。ほかの人は、自分とはまたちがう規則を持っていることがある。自分と同じ大前提の価値観を、ほかの人が持っているとはかぎらない。

 法の価値の代表となるものなのが正義だ。社会における平等のことなのが正義であり、差別や特権化がおきないようにしたい。普遍化できない差別を排除して行く。立ち場の入れ替えや、視点の反転の試し(test)をしてみる。

 憲法は、視点の反転をするのにつながるものだ。つねに当てはまる性質である普遍によるのがいまの日本の憲法であり、自分にとって他者に当たるものである。憲法をもち出すことによって、自分の立ち場や自分の視点だけによるのを避けられる。

 正義には、制度のものと実践のものとがある。法律だけによって、性の被害者を救おうとするのは、制度によるだけのものだ。制度が必ずしも正義によっているとは限らないことがあるから、(現実の制度に必ずしもしばられない)実践の正義もやって行ければよい。

 制度によるだけでは十分ではないことがあるから、そのさいには、制度を超えた実践の正義もあったほうが、より正義にかなうようになる。制度では、これこれをやれとされているけど、それをやった上で、さらにもっと良いことをやることができれば、制度を超えた実践の正義ができたことになる。

 参照文献 『憲法という希望』木村草太(そうた) 『一三歳からの法学部入門』荘司雅彦 『人を動かす質問力』谷原誠 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『法哲学入門』長尾龍一