日本は、(国の中にいる)外国人の人権を守る国なのか、守らない国なのか―えたいの知れない国としての日本

 施設の中に、外国人が入れられる。その外国人が、死ぬことがおきている。日本でその現象が起きているのを、どのように見なせるだろうか。

 その現象が起きているもとには、日本が国として原理(principle)を持っていないのがひびいている。原理をもっていないのがわざわいしている。そうとらえてみたい。

 もしも日本が国として原理をもっていれば、日本はこういう国なのだな、と外から見てわかる。こういう国なのが日本なのだから、安心だなとか、危ないなとかが外から見てわかる。

 原理をもっていないのが日本の国だから、日本がどう出るのかが分かりづらい。何をしでかすのかがわからない。何をやらかすのかが明らかにならないのである。思ってもみないことをやらかす(しでかす)のが日本だ。

 どういう原理を日本が持つべきなのかがある。もつべき原理としては、いまの日本の憲法がある。すべての人の人権(fundamental human rights)を守って行く。憲法ではそれが言われているのがあるから、それによるようにして行く。

 憲法がありながら、それを守らずに、やぶりまくっているのが日本だろう。平気でやぶっていて、違反(憲法の違反)がたくさんおきているのがあり、原理をもたないあり方になっているのが日本だ。宝のもち腐れになっているのである。

 日本にいる外国人に、不幸がおきてしまう。死ぬことがおきてしまう。その現象がおきるもとには、日本が原理をもっていないのがあるから、それを改めるようにしたい。問題の所在としては、国として原理をもっていないのがあり、日本が何をしでかすのかが外から見てわからなくなっている。

 国の中にいるすべての外国人の、人権をたしかに守って行く。いまの日本の憲法を原理として持つようにして、憲法を守って行けば、そうすることがなりたつ。そうするようにすれば、国の中にいる外国人に不幸がおきずにすむ。死ぬようなことを防いで行ける。

 外国人は日本に来てほしくない。日本は、日本人だけでやって行きたい。外国人の人権は、守らない。人権を守ることは保証できない。そういうあり方を日本がとるのであれば、それを原理として持っていることを明らかにすることがいる。

 外国人の人権を軽んじるのであれば、そういう特殊で悪い原理を日本が持っていることをしめす。それを示さないと、日本がどういうことをするのかが読めない。行ってはならない国なのが日本だから、行かないようにしようといったことで、危険な地帯(日本)に行かないようにすることが事前にできる。

 外国人に不幸なことがおきて、死ぬことがおきてからでは、手おくれだ。日本の国の中にいる外国人に、悪いことが起きてからではおそいので、事後になってからでは手を打てない。日本は原理をもっていない国だから、気がついたときには事後になっている。外国人に悪いことがおきているのがあり、それはつねに事後である。何をしでかすのかがわからないのが日本の国のありようだ。人権をしんがいすることを平気でやりかねないのが日本である。

 参照文献 『きずなと思いやりが日本をダメにする 最新進化学が解き明かす「心と社会」』長谷川眞理子 山岸俊男憲法という希望』木村草太(そうた) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『考える技術』大前研一 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ)