国葬と、それに先だつ問題―まず何にとり組むべきなのか

 殺された安倍元首相の国葬を行なう。それを行なう前に、やらなければならないことは無いのだろうか。

 まず先に、やらなければならないことがあるとすると、先決問題要求があることになる。

 修辞学でいわれる、先決問題要求の虚偽がある。まず先決の問題として解決や証明が要求されるものがあることだ。

 たんに安倍晋三元首相の国葬をやるだけだと、国葬が虚偽のものになる。それをやる前に、やらなければならない色々なことがあるから、それらをやることが(国葬よりも)先になければならないのである。

 いろいろな政治の不祥事がなされたのが安倍元首相が首相だったときにはある。それらの不祥事が、きちんと片づいていないで、そのままになっている。

 色々な不祥事がなされたのに加えて、安倍元首相が犯人に殺された事件そのものについても、力を入れた調査が行なわれていない。なぜ事件がおきたのかを、自由民主党は力を入れて調査することがいる。

 交通の点からすると、いまとかつてのいまかつて間があり、かつてといまが交通していて、かつてのことがいまにも引きつづく。かつてのことが、いまにも持ち越されているのだ。かつてのことが、決着がついていなくて、いまにおいて、ただよいつづける。憑在(ひょうざい)論だ。

 事件がおきたことを、一つの体系(system)だと見なして、いろいろな要因を見て行く。いくつもの要因があることによって事件がおきたのがあるから、それらの要因を MECE(相互性 mutually、重複しない exclusive、全体性 collectively、漏れなし exhaustive)で、もれなくだぶりなく見て行く。

 もれなくだぶりなくの MECE で、事件をしっかりと調査しようとしていないのが自民党だろう。事件の要因を体系として見て行こうとしていない。

 深く掘り下げていって事件についてを見て行く。深く見て行こうとすると、色々な要因があることが浮きぼりになってくる。自民党にとって都合が悪いものや、安倍元首相にとって都合が悪いものがいろいろに表に出てくることになる。

 顕在(けんざい)と潜在の二つによって見てみると、国葬をやるのは、表に顕在化しないようにすることだ。隠すこと、つまり潜在したままにしておく。

 表に顕在化させずに、隠して潜在したままにしておこうとするもくろみがあるのが国葬だ。

 国葬に反対することは、表に顕在化させようとすることだ。隠して潜在化させつづけようとするのを批判して行く。

 まずいろいろなことを、隠して潜在化させつづけるのではなくて、表に顕在化させて行きたい。安倍元首相が殺された事件がおきたことで、一部のことは、表に顕在化してきている。政治と宗教(旧統一教会)とのつながりが、とり上げられ出している。

 まだ一部しか表に顕在化できていない。まだまだ隠れて潜在化しているものは少なくない。国葬をやるよりも先にやらないとならないことは、隠れて潜在化しているものを、表に顕在化して行くことだ。もっとどんどん表に顕在化させて行く。

 隠して潜在化させつづけようとする意思によるもよおしなのが国葬だから、表に顕在化することのさまたげになる。自民党や安倍元首相が抱えている色々な負のことを、表に顕在化させず、隠して潜在化する機能をもつのが国葬だ。

 いろいろな穴に、フタのおおい(cover)をして、遮へい物をかぶせる機能をもつ。それが国葬だろう。遮へいされてしまう。すべてを遮へいすることはできず、一部のことである、政治と宗教のつながりについては、おおいが引きはがされて、表に顕在化(discover)してきている。一部の穴は、おおいが取れて表に顕在化したから、それはよいことだ。

 安倍元首相が殺された事件は、よくないことであり、あってはならないことだ。事件はあるべきことではなかったが、色々な穴が隠れて潜在化しているのが、表に顕在化されるのは良いことである。まだ一部しか表に顕在化されていないから、不十分だ。もっと色々な穴を表に顕在化して行こうとする意思や動機づけ(motivation)を自民党は強く持たなければならない。

 参照文献 『理性と権力 生産主義的理性批判の試み』今村仁司 『ホンモノの思考力 口ぐせで鍛える論理の技術』樋口裕一 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『論より詭弁 反論理的思考のすすめ』香西秀信