国葬と、それへの雑音―自明性と、雑音と、疎遠な外部

 世界から、そうそうたる人たちがまねかれてもおかしくない。それがのぞまれる。安倍元首相の国葬では、そうのぞまれていた。ごうかな顔ぶれのもよおしになる。

 すごい有名な世界の人たち(政治家)が、安倍晋三元首相の国葬にかけつける。世界の一級の国々の一級の政治家たちが国葬に来ることが、強く期待できるのだろうか。国の外の一級の人たちをひきつけるくらいの高い人望を、安倍元首相は持っていたのだろうか。

 三つの点から安倍元首相についてを見てみると、まず、外と内の二つに分けられる。外では、疎遠な外部だ。内では、自明性と、雑音(noise)だ。

 日本の内では、安倍元首相がすぐれた政治家だとされていて、それが自明になっている。そこに雑音がおきているのがあり、国葬への反対の声がけっこう多くおきているのだ。

 すごいすぐれた政治家なのが安倍元首相だとされているのは、日本の内においてだけだ。日本の国の内ではそれが通じるけど、国の外では通じづらい。

 ほかの国からすれば、日本の安倍元首相のことは、疎遠な外部に置かれている。あまり関心が強く向いていない。関心が持たれていない。日本の国の内で自明となっていることでも、国の外には通じづらい。

 日本の国の外からのほうが、日本についてを冷めた目で見ることができやすい。日本の国の内で自明とされていることでも、それをそのままうのみにしないで、そこに雑音をおこすことができやすいのがある。

 安倍元首相が犯人に殺される事件がおきる前の、まだ生きていたときには、日本の国の内で雑音をおこしづらかった。安倍元首相はすごい政治家だとかいだいな政治家だとされるのが自明なことになっていた。

 事件がおきたあとでは、それまでよりも雑音がおきやすくなった。自明だとされていたものが、そうではなくなり出したところがある。自明性の厚い殻(から)にひびが入り出した。

 日本の国の内だと、自明なことを強めつづける圧がかかる。自明性の殻にひびを入れようとしたり、雑音をおこそうとしたりすることに抑制がかかっている。自明なことを、そのまま保たせつづけようとする。

 日本の国の外では、日本にたいしてより雑音をおこしやすい。日本のことを見やぶりやすいのがあり、自明性の殻にひびを入れやすい。

 日本の国の内で通じている自明性が、国の外でも通じることがある。それは、日本が(その国の人にとって)疎遠な外部に置かれていることによる。日本が疎遠な外部に置かれているので、そこまで日本にたいしてつっこんだ深い見かたをとっていない。表面の見なし方にとどまっている。

 安倍元首相にたいしては、日本の国の内よりも、国の外のほうが、より冷めた目で見やすいのがあり、自明性が通じづらい。自明だとされていることを、うのみにしないことができやすい。安倍元首相にたいして、雑音をおこすことができたり、または疎遠な外部に置くことになったりする。

 日本の国の内では、安倍元首相をよしとするのは、安倍元首相を疎遠な外部に置いているのであるよりも、自明性が通じていることによるものだろう。自明だとされていることを、うのみにしている。それで、国葬をよしとすることになる。

 雑音をおこすのができづらいのが日本の国の内ではあるけど、国葬では、それがそれなりにおきている。けっこう多くの反対の声が国葬にたいしておきている。一時的に、日本の内の、雑音をおこさせないようにする圧が弱まっているためだろう。自明だとされることを、保たせることができづらくなっていて、それをうのみにしない人が少なからずおきている。

 生きていたときの安倍元首相のやり方は、自分を優にして、反安倍や反対勢力(opposition)を劣にするものだった。自分を優にして反安倍や反対勢力を劣にする構築によっていたけど、その構築を本質化や自然化することができづらくなっているのが、事件がおきたあとのいまの状況だ。

 事件がおきる前は、安倍元首相を優にする構築を本質化や自然化できていて、それが自明だった。それを固定化することに成功していたのである。きつく固定化されていた。秩序が保たれていたのである。

 これまでに自明だとされていたものが、人為や人工で構築されたものにすぎないことが浮かび上がってきているのが、事件のあとのいまの時点だろう。

 優と劣の階層(class)のあり方は、人為や人工で構築されたものであり、自然なものではない。そこに可変性がある。自然なものではなくて、構築されたものなのであれば、そこには可変性があるのだ(変えやすいか変えづらいかはまた別の話としてある)。構築されたものが、脱構築(deconstruction)できるものであることがわかり出している。構築されたものを脱構築するべきであり、雑音をおこすべきなのである。

 参照文献 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『脱構築 思考のフロンティア』守中高明 『うたがいの神様』千原ジュニア 『情報生産者になる』上野千鶴子