新宗教への甘い見なし方と、それへの信頼―信頼と、価値の共有

 そんなに悪いことをしていないのが、韓国の新宗教(旧統一教会)なのだろうか。悪いことをやっている宗教の集団だとは見なさないのがふさわしいのだろうか。

 テレビ番組では、韓国の新宗教の肩をもち、かばう出演者がいる。きびしい批判を、韓国の新宗教にたいして投げかけないのである。これはいったい何を意味しているのだろうか。

 きびしいのではなくて、甘い見なし方を、韓国の新宗教にたいしてする出演者がいるのは、その出演者が、信者や関係者である見こみがある。まちがいなく信者や関係者だとは言い切れないのもある。韓国の新宗教の教義に、信頼をいだいている見こみもある。

 信じているのであるよりも、信頼をいだいている見こみがあるために、韓国の新宗教の肩をもち、かばうことになる。

 韓国の新宗教を信頼するのは、その人の自由ではあるから、それはそれでかまわないところがあるけど、そこにいちおう批判を投げかけてみたい。

 信頼するべきではないものを信頼してしまっているのは、信頼への動機づけ(incentive)がはたらいているからだろう。うたがうべきことなのにも関わらず、信じてしまう動機づけがはたらいてしまっていると、やっかいだ。

 正の含意と負の含意があって、信頼をしてしまうと、それにたいして正の含意をこめることになってしまう。正または負の含意を、そのものにこめてしまうと、そのものを中立(neutral)に見ることができなくなる。

 信頼して、正の含意をこめるのではなくて、中立に見るようにしてみたい。中立に見るように努めてみると、韓国の新宗教と距離をとることができて、それを対象化することができる。

 距離をとらないで、韓国の新宗教と一体化してしまうと、それにだまされてしまう。つけこまれて、悪いたくらみによって損や害を受けてしまうおそれがある。それには気をつけたい。

 含意をこめないで、中立に見てみると、韓国の新宗教は信頼するのに値するとは言えそうにない。信頼できるものだとはいえず、不信や猜疑(さいぎ)をいだかざるをえない。

 かつて、信者をだまして、お金を不正にだまし取っていたとされるのが韓国の新宗教である。

 かつてに悪いことをやっていたのだとすると、そこから信頼を回復するには、そうとうにしっかりとした再発の防止の策がとられていないとならない。その策がしっかりととられていないと、信頼ができるものとは見なせず、不信や猜疑をもたざるをえないのがある。

 統一教会と名のっていたのを、名前を変えて、新しい名前でやってきているのがある。新しい名前に変えるのを許したのは、自由民主党だ。統一教会の名前だと、さしさわりがあることから、名前を変えてまでして、活動をしてきている。名前を新しく変えることによって、ひと目にふれないようにすることができるようになった。それで、自民党と深く結びつき合っていたのである。

 名前を新しく変えているところに、信頼のできなさがあり、不信や猜疑をいだくことになる点がある。自民党と深く結びつき合って、政治の力によって、名前を新しく変える許しを得た。そこにあやしさがあることは否定することができづらい。前の名前である、統一教会の名前のままで、信頼をとり戻したのではないし、前の名前のままで信頼を回復できたのではないのがある。

 それまでの名前である、統一教会の名前を新しく変えて、統一教会だとはわからないようなかたちで、政治の活動などをやってきている。いっけんすると統一教会だとはわからないが、じっさいにはそれは統一教会なのである。人に気づかれないようにして、かげに隠れてやっているのがあるから、うしろ暗さがあるところがある。

 信者をだましてお金を不正に得たことの、かつての悪い行ないがあって、そこから統一教会が信頼をとり戻して、信頼を回復して行くのは、そうとうに難しい。そうかんたんにできることではない。それがあるから、いまの韓国の新宗教(旧統一教会)を信頼することは、中立に見たとしても、できづらいのがある。

 信頼するのであるよりも、不信や猜疑をもって見るべきものなのが、韓国の新宗教なのだと言えそうだ。それが言えるのは、何も韓国の新宗教にかぎったことではなくて、自民党にたいしても同じように見られる。

 自民党が中心にある、いまの日本の政治を、信頼できるのかといえば、それは難しい。政治に不信をいだかざるをえない。この不信は、そうかんたんには払しょくすることができないくらいに、深い不信である。

 人それぞれで、韓国の新宗教や、日本の政治を、信頼したりしなかったり、自由にしてよいのがある。自由に色々な見なし方ができるのがある中で、日本の政治についてをとり上げてみると、それへの信頼がどんどん高まっているようには見なしづらい。

 政治への不信が前からあって、それがより悪化していっている。きびしく見てみれば、すごい根づよい不信がおきていて、そうとうに(致命的に)信頼を損なっているのが、いまの日本の政治のありようだろう。韓国の新宗教や、自民党を、だれしもが無条件に信頼できるのだとするのは、苦しい(甘い)見かただろう。

 参照文献 『信頼学の教室』中谷内一也(なかやちかずや) 『政治家を疑え』高瀬淳一 『徹底図解 社会心理学 歴史に残る心理学実験から現代の学際的研究まで』山岸俊男監修