政治と宗教の関係で、自民党は何をやるべきだったのか―いつの時点でどう行動するべきだったのか

 政治と宗教とが関係し合う。

 政と宗との結びつきがとり上げられている中で、自由民主党は、どのようにするべきなのだろうか。

 韓国の新宗教(旧統一教会)との関係がとり上げられ出したのは、安倍晋三元首相が殺される事件がおきたあとからだ。

 事件がおきたすぐあとに、自民党は、全力をあげて、政と宗との関係の問題にとり組むべきだった。

 いちばんはじめのときに、いちばん大きな力を注いで行く。最初期重点対処の法則だ。

 事件がおきたすぐあとに、大きな労力をかけて、政と宗の問題にとり組むようにしていれば、自民党がやる気があることを示すことができた。高い動機づけを持っていることを示せた。危機に対応して行く姿を示すことができたのである。(悪徳な新宗教は認めないなどの)どういう倫理観をもっているのかを示す機会にすることができた。

 はじめのときから、やる気がなかったのが自民党なので、最初期重点対処の法則に外れたことをやったのである。危機に対応して行くのではなくて、危機から逃げるすがたが浮きぼりになった。

 法則に反することをやっているのが自民党だが、それによって政と宗の問題をうまくやりすごしたい思わくだろう。うまくやりすごすことができるのかどうかは定かではない。危機に対応せずに、危機から逃げて、しだいに危機が去ってくれるのかどうかは定かではない。

 政と宗の問題を、時間の点から見てみると、その問題はそもそもずっといぜんからあったけど、隠ぺいされていた。潜在していた。

 安倍元首相が殺される事件がおきる前までは、政と宗の問題は、時間の点では、未来に置かれた。まだ問題化されていなかったので、時間においては未来にあったのである。これから先の未来に問題化される見こみがあるものだった。

 事件がおきたことによって、ぐう然に政と宗のことが問題としてとり上げられるようになった。時間でいえば、未来にあったものが、現在や過去のものになった。現在や過去になったことで、すでにある(存在する)問題に変わったのだ。すでに目の前にある問題になったのである。時間では、現在(見つけている)や過去(見つかった)の問題になったのだ。

 時制において、すでにある問題になった時点で、すごく大きな労力を注ぐようにすれば、自民党にとっても益になるところがあった。危機の管理においてはよい行動をとることにつながった。

 あるか、それともないかでは、あるけどないとか、あるようでないといった、ちゅうとはんぱなことをしてしまっているのが自民党だ。時制で、未来と現在と過去がきっちりと区別されていない。

 事件がおきたことで、時計の針が前にすすんだ。時制で、未来に時間が流れたところがある。自民党は、自分たちで未来に進んで行く力がなくて、問題を見つけ出して行く力がない。事件がおきたことで、たまたま時間が前に進んだだけだけど、それすらも受け入れず、時間をあと戻りさせようとしている。

 参照文献 『危機を避けられない時代のクライシス・マネジメント』アイアン・ミトロフ 上野正安、大貫功雄(おおぬきいさお)訳 『問題解決力を鍛える 事例でわかる思考の手順とポイント』稲崎宏治 『入門 パブリック・リレーションズ』井之上喬(たかし) 『コミュニケーションを学ぶ』高田明典(あきのり)