国葬と、あり方(habitus)のちがい―それぞれのあり方のよし悪し

 すぐれたことを色々になしとげた。政治家として、いろいろに良いことをなしたとされるのが安倍元首相であり、その国葬が行なわれようとしている。

 ひと並みはずれてすぐれたことをなしとげたのが安倍晋三元首相なのだから、国葬をやるのは当たり前のことなのだろうか。政治家としてとりわけひいでているのが安倍元首相なのだから、死にさいして、国をあげて手あつくあつかうことがいるのだろうか。

 あり方(habitus)のちがいを見てみると、意思疎通(communication)によるのかどうかがある。意思疎通をよしとするのかどうかだ。交通のあり方がどうかである。

 あり方は、その人が持っている色あいだ。立ち居ふるまいのしかたである。りんかくや、形だ。形態(gestalt)である。質感(qualia)だ。その人(またはもの)をその人たらしめる、それならではのものだ。

 みんなが同じあり方をしているのではなくて、それぞれの人でちがっている。あり方のちがいによって、その人が良しとされたり悪いのだとされたり、好かれたりきらわれたりする。愛されたり憎まれたり、または愛されながら憎まれる(憎まれながら愛される)。両価性(ambivalence)だ。

 生きていたときに、意思疎通をよしとするのではなかったのが、安倍元首相だった。生きていたときにそうだったのが、国葬にさいしてもあらわれ出てしまっている。国葬のやり方には、意思疎通や対話が欠けている。上からのごういんさが目だつ。

 長所は、うら返せば短所でもある。よいところは、ひっくり返せば悪さでもある。それからすると、安倍元首相の良さは、悪さでもあった。

 またちがうふうにひっくり返して見てみると、悪さは、良さでもある。悪ものや不良の良さ(かっこよさ)である。(正義の味方ではなくて)悪役がたのもしくよく映ることがある。悪ものとしては、無法者(outlaw)などがいる。そうした点での安倍元首相の良さとは、強い自我によっていたところだった。弱い自我(おだやかな自我)によるのではなかった。

 悪さをひっくり返したものとしての良さとしては、安倍元首相はこうしたものを持っていた。強い自我や、成果や結果への志向や、自分の信念を主とするのや、自と他(自分と他者)のうちで自を主とするのや、数の力によってどんどんものごとを進めて行くのなどである。

 安倍元首相が持っていなかったものとしてはこうしたものをあげられる。弱い自我(おだやかな自我)や、自と他のおたがいの了解への志向や、対話の型(model)や、論争をよしとするのや、自と他のうちで自を抑えて他に開かれて他を主とするのや、数ではなくて質によることなどだ。

 たった一つのあり方だけがあるのではなくて、色々なあり方のちがいが見てとれるのが、安倍元首相と、反安倍だろう。国葬と、反国葬(国葬への反対や批判)にも、あり方のちがいが見てとれそうだ。

 理性の点では、道具の理性におちいっていて、理性の道具化になっていたのが、安倍元首相にはあった。理性が退廃(decadance)していたのである。数の力によって、政治のものごとをどんどん進めていっていた。数が多ければ、それは正しいことなのだとしてしまっていたのである。

 表と裏があって、そのうちで、表のところだけをとり上げれば、国葬をよしとすることになる。表のところだけをとり上げているのが、国葬のもよおしにはある。裏をとり落としているのである。

 表のあり方と、裏のあり方があって、それらのあり方のちがいを見るようにしてみたい。安倍元首相に欠けていたのが、裏のあり方であり、裏のあり方は、意思疎通をよしとするものである。対話による。

 自分を主(main)として、他者を従(sub)とするのが、表のあり方であり、安倍元首相はそれによっていた。自分だけで閉じていて、他者に開かれていないところがあった。他者への交通が開かれていなかった。

 自分を従にして、他者を主とするようにして行く。他者に開かれたあり方だ。このあり方であれば、他者との交通に開かれている。

 どういう条件や状況であれば、安倍元首相をよしとすることになるのか。国葬をよしとすることになるのか。それらをよしとすることになるのは、あり方のちがいによる。成果への志向のあり方であれば、安倍元首相や国葬をよしとすることになる。

 安倍元首相や国葬をよしとするのではないのは、了解を志向する、意思疎通をよしとするものだ。意思疎通をよしとするものからすれば、了解を志向するのや意思疎通がいちじるしく欠けているのが、生きていたときの安倍元首相や国葬には見られる。

 条件や状況のちがいによって、あるあり方にもとづくものが良しとされたり、または批判されたりすることになる。

 いまの状況がどうなっているのかを見てみると、生きていたときの安倍元首相が、あまりにも成果や結果への志向によりすぎていて、意思疎通が欠けていたことに、少なからぬ批判がおきてきている。批判がおき出している。

 意思疎通を軽んじて、成果や結果を強く志向してきたことのなれのはてが、国葬のあり方にあらわれている。あれだけ成果や結果を強く志向していたのにもかかわらず、それほど目だっためぼしい成果や結果を出せなかったのが、安倍元首相だった。いがいにも、みんなが認めるような、これぞといったような成果や結果が出ていないのである。きびしく見ればそう見なすことがなりたつ。

 成果や結果を強く志向してしまうと、あせりが出てしまい、功をあせってしまう。功をあせってしまうと、失敗がおきやすい。すぐに利益を得ようとすると、法の決まりをやぶってしまいやすいのである。法の決まりを守る遵法(compliance)は、長期の利益によるさいのものだ。

 できるだけ早くに、大きな成果や結果を出そうとして、成果や結果を強く志向してしまうと、かえってそれらが出づらくなる。ことわざでいう、いそがば回れ(Haste makes waste.)だ。最短の距離で、成果や結果を出そうとするのではなくて、最長の距離を行く。安倍元首相にはそれが欠けていたのがあっただろう。

 最短の距離を行くのではなくて、最長の距離を行くようにして、意思の疎通を重んじて行く。いっけんすると遠まわりだけど、そのほうがかえって速い。

 加速度によるのがあったのが安倍元首相だったけど、そうではなくて遅速度によるようにすればよかった。相対的には遅速度のあり方なのが、反安倍や、国葬への反対や批判だろう。反安倍や反国葬は、加速度の帝国主義のあり方への批判としてとらえることがなりたつ。

 参照文献 『理性と権力 生産主義的理性批判の試み』今村仁司現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『小さな倫理学入門』山内志朗(やまうちしろう) 『逆説の法則』西成活裕(にしなりかつひろ) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『文学の中の法』長尾龍一