男性への性の加害と、日本の悪い信仰―日本に古くからある信仰の悪さや害

 すでに亡くなった人のことを、悪く言うべきではない。日本の芸能界ではそう言われているのがある。

 男性のアイドルの事務所の代表が、事務所に属する男性のアイドルに、性の加害をした。それを告発する声が、男性のアイドルたちから言われている。

 事務所の代表はすでに亡くなっているが、代表が生きていたときに性の加害をしたうたがいがあることをとり上げるのは、死者を悪く言うことになってしまうのだろうか。

 かりに生きていたときに悪いことをしていたのだとしても、悪い行動と、その人そのものとを分けることがなりたつ。行動と人をふ分けする。悪い行動をにくんだとしても、その人そのものをにくむのとは分けられる。その人そのものはにくまないが、悪い行動をにくむことが(やりようによっては)できる。

 その人が死んだから、その人のことを悪く言わないようにするだけではない。その人が生きていたときからそうだった。生きていたときから、その人を悪く言うようなことを口にすることができなかったのである。

 日本にある信仰が、わざわいする。日本には古くから御霊(ごりょう)信仰がある。死んだ人が、わざわいをもたらしかねない。わざわいがもたらされるのを防ぐために、死者をとむらう。死者のごきげんをとる。そうすることで、負が正に転じる。よいことをもたらしてくれるような正の霊になる。それが見こめる。死者だけではなくて、生者にもこれがなされる。

 事務所の代表は、生きているときから、御霊信仰における生き霊だった。生き霊だったので、悪く言うようなことが許されなかった。事務所の中でそうだったのがあり、事務所の外でもそうだった。事務所の外にも幅をきかせていた。日本の国の中で御霊信仰があるから、事務所の外にも生き霊としての力をおよばせることができた。

 芸能界だけではなくて、政治の世界でも、御霊信仰がわざわいしている。犯人に殺された安倍晋三元首相なんかについても、もっと安倍元首相のことを深く分析するべきだけど、それが(日本の国として)なされていない。政治で色々に悪いことをやりまくったのが安倍元首相であり、それらについてをかなりくわしくきびしく分析しなければならないが、それが行なわれていないのである。国としての総括(そうかつ)がされていない。

 西洋のような、個人主義の絶対の主体(absolute subject)ではない。関係の主体(referential subject)なのが日本のあり方だ。関係の主体であるために、御霊信仰がわざわいしやすい。絶対の主体だったら、御霊信仰がそこまで力を持つことがおきづらい。

 国の中や、それよりも小さい集団のなかが、特殊化しやすいのが日本だろう。普遍によりづらい。普遍であれば、つねに当てはまる性質であり、個人の人権が重んじられる。どこの国であっても、どこの集団の中にいても重んじられるべきものなのが人権だ。

 固有の性質である特殊になりがちなのが日本であり、その集団の中でだけしか通じないようなあり方になりがちだ。その集団の中では、人権を軽んじるあり方が通じてしまう。たとえば学校の中なんかでそうなりやすい。

 普遍ではなくて特殊になりやすいのが日本にはあり、そこから不祥事がおきることになる。日本では、集団において不祥事がおきやすい性格をもっていて、芸能の事務所で性の加害がおきたうたがいがあることに、それ(不祥事がおきやすいこと)があらわれ出ていそうだ。

 参照文献 『法律より怖い「会社の掟」 不祥事が続く五つの理由』稲垣重雄 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫丸谷才一 追悼総特集 KAWADE 夢ムック』河出書房 『個人を幸福にしない日本の組織』太田肇(はじめ)