ロシアの(ウクライナとの)戦争と、ロシアの内戦―戦争や内戦がおきるわけ

 ロシアは、ウクライナと戦争をやっている。そのロシアの国の中で、内戦がおきているという。

 ロシアの民間の軍事の会社と、ロシアの軍とが、対立し合う。

 ロシアの国の中で、内戦のようなことがおきているのを、どのように見なせるだろうか。

 ミャンマーでは、軍事の政権と、民主主義の勢力とが、国の中で戦い合っている。内戦がおきつづけている。かなりひさんなことになっている。ミャンマーで自然の災害がおきても、国際連合の支援の人たちが、ミャンマーの国の中に入れない。

 アメリカでは、内戦がおきるのではないかと言われているのがある。国の中が割れている。分断化がおきているのである。

 アメリカでは内戦がおきるかもしれないと言われているけど、日本ではそこまで内戦がおきる見こみはありそうにない。アメリカほどには内戦がおきるおそれが少ないのが日本だろう。

 どこの国であったとしても、国の中に革命の勢力をもつ。内乱や反乱や革命をくわだてようとする勢力が国の中にいるのだ。ビヒモス(behemoth)だ。

 一つの国はリヴァイアサン(leviathan)だ。ロシアであれば、ロシアはリヴァイアサンだけど、その中に部分の反乱の勢力をもちつづけている。国の中にビヒモスを抱えこみつづけているのがあり、それに当たるのがロシアの民間の軍事の会社だろう。

 ロシアと戦争をやっているウクライナはどうかといえば、ウクライナも国としてはリヴァイアサンだけど、国の中に部分の反乱の勢力をもつ。ウクライナにおいてのビヒモスは、親ロシア派だろう。

 国を、人の心になぞらえる。国であるリヴァイアサンは、自我だ。警察の役をになう。部分の反乱の勢力であるビヒモスは、無意識や基本の衝動だ。

 自我は警察であり、制御することはできるけど、それがきかなくなる。自然の川でいえば、川がはん濫してしまう。抑えがきかなくなる。無意識や基本の衝動がすごい力をもつ。

 人でいえば、自我によって、理性で抑えをきかせられなくなっているのが、国で内戦がおきることだ。何とか自我や理性によって抑えをきかせられれば、国で内戦がおきることを避けられる。

 自我や理性で抑えをきかせることに失敗して、無意識や基本の衝動がすごい力を持っているのが、内戦がおきている国だ。

 いま内戦がおきているロシアやミャンマーなどにかぎらず、どこの国であっても内戦がおきる見こみはある。すごいひさんなことになるおそれがある。なぜその見こみがあるのかといえば、部分の反乱の勢力であるビヒモス(人の心でいえば無意識や基本の衝動)をなくすことができないからだ。せいぜいが、ビヒモスを抑えこむことができるのにとどまり、それがいつまでも国の中にありつづけることになるからである。

 世界の警察であり、超大国なのがアメリカだけど、アメリカは世界におけるリヴァイアサンではない。アメリカの一極とは言い切れず、ロシアや中国などの台頭もあり、世界は多極化している。世界の国々はみな部分の反乱の勢力であるビヒモスだ。

 ロシアとウクライナが戦争をやっているのは、部分の反乱の勢力であるビヒモスどうしが戦い合っていることだ。

 国どうしが戦争をやるのは、部分の反乱の勢力であるビヒモスどうしが戦い合うことであり、ひさんである。それとともに、国の中でリヴァイアサンがなりたたず、内戦になるのもまたひさんだ。内戦になるくらいなら、まだしも(たとえ独裁の権力であったとしても)リヴァイアサンがなりたったほうがましだ。そのうえで、近代の立憲主義自由主義(liberalism)によることができたら理想だ。

 参照文献 『リヴァイアサン 近代国家の思想と歴史』長尾龍一憲法という希望』木村草太(そうた) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫 『戦争の克服』阿部浩己(こうき) 鵜飼哲(うかいさとし) 森巣博(もりすひろし)