国の防衛と、いじめ―いじめ(戦争)を無くすにはどうするべきか

 弱いものがいじめられる。強ければいじめられない。

 日本の国を守るには、強くなって、いじめられないようになることがいる。

 与党である自由民主党の政治家は、国を守ることを、いじめになぞらえていた。国を守るには、強くなって、いじめられないようにするべきなのだろうか。

 いじめるのは強い人だが、これは動物でいえば猫やオオカミだろう。いじめられるのは弱い人で、ねずみや羊だ。

 強い自我なのが猫やオオカミだ。弱い自我なのがねずみや羊だ。強い自我は、弱いものをいじめやすい。自分がもつ力にものを言わせるのが強い自我だ。強い自我をもち、猫やオオカミに当たるのが独裁者である。

 いま戦争をやっているロシアとウクライナとでは、ロシアは猫やオオカミだ。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、猫やオオカミである。

 ウクライナは、ねずみや羊に当たる。

 どういうあり方がのぞましいのかといえば、いじめがないあり方だ。いじめがないあり方は、民主主義のあり方である。民主主義では、強い人である猫やオオカミがいないようにする。ねずみや羊だけでやって行く。

 国を強くして、いじめられないようにするのは、自分たちが猫やオオカミになろうとするものだ。その発想だと、民主主義ではなくなる。

 強い国が弱い国をいじめるのでは、そこに社会の矛盾があることが見てとれる。たんに、いじめられないようにする(国を守る)ために、国が強くなれば良いといったことではない。

 いじめがおきているさいに、いじめをやっているのをやめさせる。ロシアの国の中では、いじめをやっているのはプーチン大統領だから、プーチン大統領をやめさせればよい。ロシアの国民が、みんなで協調し合えばそれができる。協調し合えていないから、社会の矛盾がおきているのである。

 ロシアの国の中では、いじめは良いことだといったようになっている。ウクライナをいじめるのは善だとされている。いじめをなくすために、ロシアの国民がみんなで協調し合えなくなっている。

 いじめに協調させられているのがいまのロシアだ。ウクライナをいじめることに、協調させられていて、それに非協調になるのが許されていない。いじめは良くないからやめろという非協調の行動が禁じられている。

 たとえ国が強くなっても、ロシアのようになるはめになり、いじめをなくすことにはつながりづらい。いじめを無くすには、憲法が大事なのが浮かび上がってくる。

 近代の立憲主義憲法ではないのがロシアだから、猫やオオカミが出てきて、その強い人が国を支配してしまう。民主主義ではなくなってしまう。民主主義によるようにして、猫やオオカミが出なくして、ねずみや羊だけでやって行く。いじめをやるのは、猫やオオカミだから、それらが出ないようにして行く。

 独裁主義や原理主義では、猫やオオカミが上に立つ。いじめがおきないようにするには、猫やオオカミが上に立たないようにして行く。ねずみや羊だけでやって行けるようにして行く。

 いじめがおきるもとは、独裁主義や原理主義のあり方にあるから、それらにならないようにして行く。そのためには、近代の立憲主義憲法によることがいる。いじめを無くすには、ちゃんとしたまっとうな憲法がいる。かつて、いじめをやりまくった国である日本の歴史をふり返れば、いじめを無くすには個人を十分に重んじるような憲法がいることがわかる。

 参照文献 『社会的ジレンマ 「環境破壊」から「いじめ」まで』山岸俊男憲法という希望』木村草太(そうた) 『原理主義と民主主義』根岸毅(たけし) 『リヴァイアサン 近代国家の思想と歴史』長尾龍一 『増補 靖国史観 日本思想を読みなおす』小島毅(つよし) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『歴史 / 修正主義 思考のフロンティア』高橋哲哉 『非国民のつくり方 現代いじめ考』赤塚行雄 今村仁司