ロシアの戦争と、内からの侵略―外と内の相互の流通性

 戦争をやっているロシアを、全体と部分で見てみるとどう言えるだろうか。

 全体と部分や、顕在(けんざい)と潜在から見てみると、まずは、全体は非真実だと言える。

 哲学者のテオドール・アドルノ氏は、全体は非真実だと言っている。国の全体は非真実であることになる。

 国が侵略をおこなうのや、侵略されるのは、ふつうは国の外からそれを行なう。外からだけではなくて、内からの侵略もまたありそうだ。内による侵略がある。

 外からの侵略だと、あたかも国の全体が一つにまとまっているかのようになるが、国の全体は非真実だ。国の全体は一つにまとまっているのではなくて、国の中にはいろいろな断層がいくつも走っている。

 一つの国はリヴァイアサン(leviathan)だといえるけど、国の中には部分の勢力(behemoth)がつねにある。部分の勢力をおさえこむことによってリヴァイアサンはなりたつ。リヴァイアサンがなりたっても、部分の勢力が消え去ったのではなくて、つねに潜在している。

 いま戦争をやっているロシアはリヴァイアサンだと言えるけど、ロシアの中には部分の勢力がいて、ロシアの中にはいくつもの断層が走っている。

 ロシアから侵略されているウクライナを見てみると、ウクライナリヴァイアサンだが、ウクライナの中には部分の勢力がいることがわかる。ウクライナの中には断層が走っていて、ロシアに近い親ロシアの勢力がいる。親ロシアの勢力はウクライナの中にいる部分の勢力だ。

 外から侵略されるよりいぜんに、国はすでに内において侵略されているとも言える。国の内の侵略は、部分の勢力がいることによる。国の内にいる部分の勢力は、それを押さえこむことはできるけど、消し去ることはできない。リヴァイアサンをなりたたせることができても、部分の勢力は残りつづけて、潜在化したままになる。おもてに出てこようとしていて、顕在化する機会をうかがいつづけている。

 東洋の陰陽の思想では、陰の中に陽があり、陽の中に陰があるとされる。国が陽だとすれば、その中に陰を含んでいて、断層が走っている。陽の外に陰があるのではなくて、陽の中に陰があり、リヴァイアサンが部分の勢力を内に含みもつことをさす。

 ふつうは侵略といえば、国の外から侵略者がやってきて侵略を行なうのだとされがちだ。それだけではなくて、そもそも国の内に侵略がある。リヴァイアサンが部分の勢力を押さえこんでいても、部分の勢力がリヴァイアサンをおびやかしつづけているのがある。

 国の全体であるリヴァイアサンを見ていると、国の内にいる部分の勢力をとり落とす。国の内にいる部分の勢力を見ていると、国の全体であるリヴァイアサンをとり落とす。リヴァイアサンと部分の勢力を、両方ともいっしょにとらえることはできづらく、どちらかをとらえればもう一方をとり落とすことになる。二律背反(tradeoff)である。

 東洋の陰陽の思想でいえば、陽の外にではなくて、その中に陰を含みもっているのがあるから、国でいえば、国の内に走っているいくつもの断層を見て行くことがいる。国の内に陰があるので、国の内において侵略がおきつづけている。リヴァイアサンは、部分の勢力を押さえこむが、部分の勢力を完全に無くすことはできないから、リヴァイアサンの枠組み(framework)が壊されることがおきることがある。

 枠組みとしてリヴァイアサンを見てみると、その枠組みが壊れることがある。いったんリヴァイアサンの枠組みがつくられると、それが作られたとたんに破壊がはじまっているとも言える。枠組みはずっと静止して固定化しているものではなくて、動態性によるのがある。何かのきっかけで、リヴァイアサンが部分の勢力を押さえこめなくなったら、枠組みとしてのリヴァイアサンは壊れることになる。

 国の全体であるリヴァイアサンだけではなくて、部分の勢力も見て行くようにしたい。その二つをいっしょに同時にとらえることはできづらいが、リヴァイアサンだけを見ていると部分の勢力をとり落としてしまう。

 リヴァイアサンは共同の幻想によるものだから、実体ではないものであり、それを実体視するとまずさがおきるのがある。リヴァイアサンを実体視することで、共同の幻想が強まり、部分の勢力を完全に消し去ろうとしてしまい、抑圧がひどく強まる。共同の幻想が強まり、抑圧が強まりすぎることで、リヴァイアサンそのものがだめになってしまう。強い抑圧によって反動が形づくられてしまう。国の全体が悪い方向に向かってつっ走って行く。

 国は、その地域で見ればリヴァイアサンだが、世界の全体からすると部分の勢力だ。国を絶対化するのは、リヴァイアサンだけを見ることでもあるし、部分の勢力だけを見ることでもある。

 リヴァイアサンにたいしては部分の勢力を見るようにして、部分の勢力にたいしてはリヴァイアサンを見るようにすることがいる。全体だけを見るのでもなくて、部分だけを見るのでもなく、全体と部分のつり合いをどのように取るのかがかぎだ。

 全体と部分のつり合いが崩れると、国の中では内戦になり、国の外では国どうしの戦争になる。つり合いが崩れるのを失調や不調だと言えるとすると、国には(少なくとも)二つの失調や不調のおそれがあり、内戦と国どうしの戦争のどちらにも気をつけないとならない。

 たとえ内戦を防げても、そのことが国どうしの戦争につながってしまうのがあり、二つのうちの一つだけに気をつけられても、もう一つのところができていないことになる。国はリヴァイアサンだとはいっても、その中にいくつもの断層が走っていて、部分の勢力をかかえ持っていることを忘れないようにしたい。

 参照文献 『リヴァイアサン 近代国家の思想と歴史』長尾龍一 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『日本断層論 社会の矛盾を生きるために』森崎和江 中島岳志(たけし) 『ホンモノの思考力 口ぐせで鍛える論理の技術』樋口裕一