ロシアとウクライナの戦争と、国によるうその情報―国がうそをつくのと、国がうそであること

 戦争のなかで、ロシアがうその情報(fake news)を言っているのだろうか。それともロシアがうその情報を言われているのだろうか。

 ロシアがうそを言っているのか、それとも(ロシアが悪いのだとする)うそを言われているのかでは、それよりいぜんに、ロシアの国がうそである。そう見なしてみたい。

 国はうそ(fake)なのがあり、人為で作られたものだ。体系(system)としての国はうそであり、実体としてまちがいなくあるのだとはいえそうにない。

 世界はあるとは言えるけど、その世界を分節化した国々は、改めて見れば無いものである。世界を分節化するやり方には気ままさや恣意性(しいせい)があり、そこには必然性があるとは言えそうにない。国どうしのあいだの国境の線引きには人工性がある。

 うその情報を言ったり言われたりするのであるよりも、それよりいぜんに国そのものがうそである。国はうその産物であり、国があるのかどうかは定かとはいえそうにない。国があるのは、仮説にとどまるものであり、その仮説は自分では完ぺきには確かめようがない。

 古いあり方では、国があるのだとしていた。これは非科学のあり方だ。科学によるのであれば、国はあるとは言いがたいのがあり、国を超えたあり方のほうがより現実に近い。

 新しい科学のあり方では、国を超えたあり方なのがあり、越境(transnationalism)によるあり方だ。越境のあり方では、国が流動化して行き、国がうそであることがあばかれて行く。国が無いことが明らかになって行く。

 越境のあり方とはちがい、古いあり方は国が有るのだとする国家主義(nationalism)だ。古いあり方がとられているのがロシアであり、その中でウクライナとのあいだで戦争が行なわれている。ウクライナもまた古いあり方である国家主義によっているところがある。

 自分の国を守るのだとはいっても、国はうそであり、無いものなのだから、守りようがない。国を守るといったさいに、そのかんじんの国が有るのかどうかは、仮説にとどまるものであり、自分では確かめようがない。

 国そのものは、どこかに有るものだとはいえないものであり、どこかに有るのだと仮定されているだけのものだろう。現実に国があるのであるよりは、国であると言っているものがあるだけであり、それは事実そのものであるよりはそう言っているだけのものに近い。

 代理するもの(representation)はいるけど、代理されている当人(presentation)はいないのが、国だといえる。記号内容(signified)なき記号表現(signifier)だ。

 あくまでも代理するものがあるのにとどまるのが国であり、その代理するものは、代理される当人と大きくずれている。代理される当人は、改めて見るとどこにもいない。(代理される当人はいなくて)代理するものしかいないから、国はうそであると言える。

 ロシアやウクライナに見られるように、国は有るのだとする古い非科学のあり方に戻ってしまっているのが世界ではおきている。そのいっぽうで、新しい科学の越境のあり方が進んでいっているのもある。脱国家のあり方が進んでいっている。世界主義(globalization)が進んでいっている。

 世界主義にも(よいところだけではなくて)悪いところがあるのは確かだが、国がもっている悪さがおきているのがあり、国家主義が強まっているのがある。国家主義が強まると、古い非科学のあり方に戻ってしまうから、そうならないようにして行きたい。古い非科学のあり方だと、国はないのにもかからわず、それが実体として有るのだとするうそが通じてしまう。

 全体は非真実だと言っているのが哲学者のテオドール・アドルノ氏だ。国の全体はあるとはいえず、それはうそなのがある。ロシアでいえば、ウラジーミル・プーチン大統領は、ロシアの全体を代表しているとはいえず、あくまでも部分しか代表することができない。

 ロシアにかぎらず、国の全体を代表しているとするのはうそであり、それはできるものではない。全体主義では、国の代表者が、国の全体を代表しているように言うが、それは成り立たないことだ。国の全体は、だれにもとらえることはできないものだから、それがあるかどうかは完ぺきには確かめようがなく、仮説にとどまる。

 国があるのだとする仮説は、それがそうだからそうなのだといった自己循環論法によるものだ。うそとしてある、つまり共同の幻想として国は有るのだとは言える。共同の幻想は、フタのようなものだから、そのフタのおおい(cover)を引っぺがしてみれば、その下には穴が空いているのがあり、穴は空虚や虚無であり、国はうそであることが明らかになる。

 参照文献 『リヴァイアサン 近代国家の思想と歴史』長尾龍一現代思想を読む事典』今村仁司編 『資本主義から市民主義へ』岩井克人(かつひと) 聞き手 三浦雅士 『歴史家が見る現代世界』入江昭 『九九.九%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』竹内薫 『日本の難点』宮台真司(みやだいしんじ) 『グローバリゼーションとは何か 液状化する世界を読み解く』伊豫谷登士翁(いよたにとしお) 『日本人はなぜ存在するか』與那覇潤(よなはじゅん)