ロシアとウクライナの戦争と、世界のありよう―理想論としての社会状態と、現実論としての戦争状態

 力による現状の変更はゆるされない。ロシアの戦争について、岸田文雄首相はそう言う。

 岸田首相がいうように、力による現状の変更や、国際的な法や(それぞれの国の平等な)自由をこわすようなことはよくないことなのだろうか。ロシアを念頭に置いたさいに、それらを言うことは有効なことなのだろうか。

 どのようなふうに世界のあり方がなっているのかを見てみると、岸田首相が言っていることは、まちがいとはいえないものの、ずれている。世界のあり方とはずれたことを言っているところがある。

 社会契約論によって世界のあり方を見てみたい。国の中のように、(国の外である)世界のあり方が社会状態(civil state)になっているのであれば、岸田首相が言うようなことは有効性があるだろう。

 じっさいの世界のありようはどうなっているのかといえば、社会状態になっているのだとはいえそうにない。国の外である、世界のありようは、自然状態(natural state)つまり戦争状態になっている。

 国の中のように、中央の政府があれば、社会状態がなりたつ。国の外である世界には、(国の中におけるような)中央政府がないので、社会状態にはなっていない。戦争状態になっているのである。

 社会状態ではなくて、自然状態または戦争状態になっていて、新しい帝国主義のありようになっているのが、じっさいの世界のありようだろう。戦争状態であり、新帝国主義であるなかで、ロシアがウクライナに戦争をおこした。そう見なすと、ロシアのとっている行動は、つじつまが合うところがある。

 戦争状態や新帝国主義になっているのが世界のありようだから、力による現状の変更はやろうと思えば(いくらでも)できてしまう。国際法をやぶろうと思えば平気でやぶれてしまう。国際的な自由をこわすことがたやすくできる。とりわけ、大国がそれらをやろうと思えば、力を持っているだけに、できてしまう見こみが高い。

 なぜ世界のありようが、社会状態ではなくて、戦争状態や新帝国主義になっているのかといえば、国が力を持ちすぎているためだろう。国は主権をもっていて、それが絶対化されすぎている。国がやることが正義だとなりやすく、国がやることが正当化されやすい。

 こうであるべきだとする理想論や、かくあるべきの当為(sollen)や規範を言うことは、よいことではあるけど、それだけではなくて、現実論としては現状をできるだけ正しく見て行きたい。現実論の、実在(sein)を見て行きたい。

 現実論として正しく現実を見て行くようにするのだとしても、世界のありようはとても複雑だから、あるていどより以上の単純化をまぬがれることはできづらい。

 複雑なものを単純化してしまっているのは避けられないけど、世界のありようを見たさいに、戦争状態や新帝国主義になっているのをくみ入れるようにしたい。そのことをくみ入れると、ロシアがやっているように、とりわけ大国が力で現状を変更しようとしたり、国際法をやぶったり、自由をこわしたりすることができてしまう。(大国だけとは限らないが)とくに大国がそういった行動をしがちだけど、そのことの説明がつきやすい。

 かくあるべきの当為や規範を、それぞれの国(とくに大国)がきちんと守っているのは、人間の心でいえば、自己が欲動をおさえこんでいることになる。自己はリヴァイアサン(leviathan)であり、欲動はビヒモス(behemoth)だ。自己(ego または superego または self)は理性である。欲動(id または it または es)は、こうしたいとかああしたいといった生の心の中の声のようなものだ。

 かくあるの実在のところを見てみると、自己が欲動をおさえこめていない。世界のあり方は、欲動をおさえこむ役をになう自己がなくて、欲動がむき出しになっている。ロシアが戦争をやっているのは、欲動のままにロシアが動いているからであり、自己のおさえがきいていない。自己によるおさえとは、国は戦争をするべからずとか、国は他の国にたいして武力の行使をするべからずといった、国にたいしてのいろいろな外からの要求だ。

 国がもっている欲動は、国にたいするいろいろな外からの要求をぜんぶ無いことにしたい。いろいろな外からの要求が言われているのを、ぜんぶとり払ってしまいたい。外からの要求をとり払うことがじっさいにできてしまうのがある。国は戦争をするべきではないとか、国は武力の行使をするべきではないといったような外からの要求をとり払い、欲動のままに動く。世界ではそれが許されてしまっている。国の主権が絶対化されているからだ。そこに危なさがある。

 国がもつ主権が絶対化されていて、国が力を持ちすぎているために、いろいろな国で国家主義(nationalism)が強まっている。さまざまな国で国家主義が強まっているので、世界のありようが戦争状態になりつづけている。

 国が絶対化されている中で、もっと国を相対化して行くことがいる。脱国家主義(transnationalism)によることがいる。そうしないと、世界の中が戦争状態になっているのが改まりづらい。世界を社会状態にして行くには、国がもつ主権を強めるのではなくて、もっと弱めてゆるめて行くようにすることがいる。国を超えるような越境の視点をしっかりと持てるようにして行く。世界の平和のためには、いかに国を相対化できるかがかぎだろう。

 参照文献 『リヴァイアサン 近代国家の思想と歴史』長尾龍一 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『相対化の時代』坂本義和 『民族という名の宗教 人をまとめる原理・排除する原理』なだいなだ