ウクライナがつくった動画では、ヒトラーと昭和天皇が並べられていた。動画の中では、ヒトラー、ムッソリーニ、昭和天皇が三人の独裁者で悪人だとされていた。
ヒトラーやムッソリーニが力をもっていたときの昭和天皇はいったいどういったふうだったのだろうか。
天皇は、形式としては極小と極大の二つのときがある。戦後の天皇は極小だ。戦前のときに、生きている神だとされていたときの天皇は極大だ。
いまの天皇は、形式としては極小になっているから、害がない形になっている。戦前のときに、生きている神だとされていたさいには、形式として極大だったのがあり、そうとうに害をなしていた。
戦後だけではなくて、それよりいぜんの、戦前よりももっと前の前近代のころは、天皇は極小の形式だったのがあり、天皇を知っている日本人はそれほど多くはなかったのだという。天皇は日本人にもあまり知られていなかった。
極小の形式であれば、そこまで害がおきづらいけど、極大になってしまうと、害がおきやすくなる。天皇が前面に出てきて、極大の形式になると、危険性が高まる。もともとの天皇のあり方は、どちらかといえば極小のあり方だから、そこから外れてしまうことによって危なさがおきてくるのもある。
律動や波動でいえば、天皇は縮むときと広がるときがあり、戦後であるいまは縮んでいる。縮んでいるときはそれほど害は少ない。広がるときは危なさがおきてくる。戦前に、生きている神だとされていたときの天皇は、広がっているときだった。天皇が広がっていって、日本の国がまちがった方向に向かって暴走して行き、日本が戦争に負けてついに縮むことになった。
戦後のいまでは、天皇は極小の形式になっているけど、日本の国の外のアメリカが天皇に当たるのがある。戦後では、天皇は日本の国の外にあるといえるのがあり、アメリカは極大の形式になっているかもしれない。
アメリカは日本の外にある天皇に当たり、極大の形式になっているけど、国として落ち目になっているのもある。律動や波動でいうと、アメリカは広がっているのはあるけど、縮んでいっているのもある。右肩上がりでありつづければ広がりつづけられるけど、右肩下がりになって行けば縮むことになる。
いまは世界では中国が台頭していて力を持っているから、律動や波動でいえば、中国は広がっていると言える。極大の形式になっている。ずっと広がりつづけられるのかといえば、そうはできづらく、縮むときがいつかやって来るものだろう。何ごとであったとしても、広がって、縮んで、といった律動や波動があるからだ。
極小のときは、縮んでいて、最低点だ。極大のときは、広がっていて、最高点にある。最低点のときと、最高点のときとの、そのあいだの差や幅がどれくらいだったのかがある。
天皇は、最低点と最高点のあいだの差や幅がうんとあったのがある。戦前において、あまりにも広がりすぎてしまったのがあり、その反動で、戦後にはものすごく縮んだ。いまでは実質としては(制度としては)天皇制はほぼ消滅していると言っても必ずしも言いすぎではない。天皇制は、形だけがむなしく残りつづけているだけである。実質としてはほろびているものの、日本人を従わせるものとしての、権威主義としての天皇制はいまだに力を持ちつづけているのはある。
参照文献 『現代思想キイ・ワード辞典』鷲田小彌太(わしだこやた)編 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『近代天皇論 「神聖」か、「象徴」か』片山杜秀(もりひで) 島薗(しまぞの)進 『「縮み」志向の日本人』李御寧(イー・オリョン) 『国体論 菊と星条旗』白井聡(さとし)