昭和天皇を悪く言った動画の内容は変更されるべきだったのか―日本の愛国の歴史観のまちがい

 ウクライナのつくった動画に抗議をしたのが日本の国だ。

 日本が抗議をしたのは、ウクライナがつくった動画が、日本の愛国の歴史に反するものだったからだ。動画のなかで、昭和天皇が(ヒトラームッソリーニに並ぶくらいのものとして)悪く言われていた。

 ウクライナを手助けしたのにも関わらず、(手助けをした国々への感謝の言及の中に)日本が含まれていなかった。それにたいしても日本は抗議をした。

 動画の中で、ウクライナが、昭和天皇を悪く言ったことは悪いことだったのだろうか。

 ウクライナがとっている歴史と、日本の愛国の歴史とが、食いちがった。食いちがいがおきたために、日本はウクライナの作った動画に抗議して、内容を変えさせた。

 ウクライナが動画の内容を変えるのではなくて、日本が愛国の歴史を改めるべきだった。日本が愛国の歴史を修正するべきだった。それをやらないで、ウクライナに動画の内容を変えさせたのは、正しいことではなかったと言える。

 ぜんぶが嘘やでたらめだとは言えないのにしても、日本の愛国の歴史にはかなりまちがったところが含まれているものだろう。けっこうまちがいを多く含む。それらのまちがいをどんどん正して行かないとならない。

 完ぺきに正しいとはいえないものなのが、日本の愛国の歴史だ。すべてが丸ごとまちがっているとはいえないのにしても、けっこうまちがったところが多いと言えるので、甘めに見たとしても、半分くらいは正しいかもしれないが、(最低でも)半分くらいはまちがっている。

 昭和天皇を動画の中で悪く言ったことは、日本の愛国の歴史にとっては受け入れがたいことではあったが、ウクライナとしてはさしておかしい歴史のとらえ方ではなかった。日本とウクライナとで、歴史の見なし方に差異があったのである。

 ウクライナが動画を作ったのがあるけど、かりにウクライナではなかったとしても、ウクライナのほかのどこかの国や、だれかの主体が、日本の愛国の歴史には合わないことを言う。そうしたさいに、ウクライナと日本とで歴史の見なし方に差異がおきたように、どこかの国またはだれかの主体と日本とのあいだで差異がおきることになる。

 歴史の正しさについて、日本はどういったふうにするべきなのかと言えば、日本の愛国の歴史を一方的に他に押しつけるべきではない。ウクライナは、日本によって動画の内容を変更させられたけど、それと同じようなことが行なわれるのではないほうがよい。ウクライナが動画の内容を変更するのではなくて、日本が愛国の歴史を改めるべきだった。

 西洋の哲学の弁証法(dialectic)で見てみると、ウクライナと日本とで歴史について差異があるとして、正と反と合がある中で、ウクライナは正で日本は反だ。日本がやったことは、日本の愛国の歴史つまり反をウクライナに押しつけたのである。ウクライナの正はまちがっているのだとして全否定して、反だけが正しいのだとした。

 日本のやり方である、日本の愛国の歴史だけが正しいとするのだと、弁証法において正と反が合に止揚(aufheben)されない。日本が反であるとして、正を全否定して、反だけが正しいとしてしまっているからである。

 日本が反に当たるのだとすると、正を丸ごと全否定するのではなくて、正に正しいところがあるかどうかをしっかりと見て行く。日本の反の中に含まれているいろいろなまちがいを見ていって、それらを正して行く。そうすることによって、合の止揚にいたれて、少しでも正しい歴史に近づける。

 いかに合の止揚にもって行けるのかが大事なことだから、日本は愛国の歴史をかたくなに守りつづけるだけでは自国の立ち場にとどまりつづけるだけに終わる。日本が反であるとすれば、反でありつづけるだけだから、視点がただ一つだけしかとられない。

 合の止揚にもって行き、歴史の正しさに少しでも近づいて行くには、日本は視点をいっぱい増やして行くことがいる。視点を増やして行く努力をしないで、日本の愛国の歴史にこだわりつづけて、一つの視点しかよしとしないようでは、日本の愛国の歴史を(日本の国内でだけは)守れるかもしれないが、日本の国にとってよくはたらくことは見こめない。

 日本を中心化して、ウクライナに動画の内容を変えさせたのが日本だが、日本を脱中心化することが必要だった。日本を中心化して、日本の愛国の歴史をウクライナ(または他の国またはだれかの主体)に一方的に押しつけるのではなくて、日本が自国のあり方を修正して行く。正しい歴史によるためには、日本を中心化せずに、脱中心化することがいることがわかる。

 日本を脱中心化するようにしないと、弁証法でいうところの正と反を共にくみ入れて、視点を増やすことができづらい。弁証法の合の止揚にもって行きづらい。日本を中心化することしか能(または芸)がないのが日本だから、ウクライナによけいなめいわくをかけることになった。ウクライナによけいなめいわくをかけてしまったことを、日本は気がつかないとならないだろう。

 参照文献 『歴史 / 修正主義 思考のフロンティア』高橋哲哉 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『入門 パブリック・リレーションズ』井之上喬(たかし) 『これが「教養」だ』清水真木(まき) 『現代思想を読む事典』今村仁司