ロシアとウクライナの戦争と、そうとうつ―うつの時代

 ロシアの戦争を、そう(躁)とうつ(鬱)によって見てみると、どういったことが言えるだろうか。

 そうとしては、自国を守るとか、自国の名誉や栄誉を高めるのなどがある。幸福と関わる。

 うつとしては、自国が負を抱えることになる。自国が不名誉や恥辱や汚名をこうむる。国民に損や害がおきる。不幸と関わりをもつ。

 うつのところとしては、国民がゆううつさ(melancholy)を抱えることになるのを見てみたい。悲しみ(pathos)がおきるのを見てみたい。

 戦争を自分たちで引きおこしたことによって、ロシアは、そうとうなうつがおきることになりそうだ。世代としては、とりわけ若者の世代が、大きいうつを抱えこむ。

 世界としては、ロシアが悪でウクライナは善の図式になっているから、そこからロシアの国民はうつを抱えこむことになる。ロシアが悪の図式は、なかなかくつがえることはないものだろう。

 ロシアは悪ものとされるのは、型(stereotype)になることで、固定化されてしまう。型ができ上がったのは、ロシアが自分たちで戦争を引きおこしたことから来ている。戦争がうつを引きおこしたのである。

 ロシアの国の中では、戦争が美化されて、そうになる。自国が美化されて、栄誉や名誉や美名が高まって行く。

 そうによることによって、戦争が引きおこされたが、そうがうつに転じてしまう。そうを追い求めることで、それがうつに転じて、うつになることになる。

 国がそうを追い求めるのは、国が栄誉や名誉や美名を求めることだ。ロシアはそれらを追い求めているのがあり、それで戦争を引きおこした。そこからそうではなくて、うつがおきることになった。

 そうがうつに転じてしまうことに気をつけて行きたい。うつでは、ゆううつさや悲しみがあり、不幸がおきる。戦争をやってしまうと、うつがおきることになって、国民がゆううつさや悲しみや不幸におちいることになる。

 戦争をやっているさいちゅうは、そうのようなところがあるけど、それとともにその裏ではうつがおきている。戦争が終わったからといって、うつが終わるのではない。戦争が終わったあとにも、ずっとうつが引きつづく。持続性があるうつがおきることになる。短期では消えないうつである。長期化するうつだ。

 ロシアやウクライナでは、いま戦争がおきていることで、いまうつが作り出されている。いまは戦争をやっていないけど、日本を見てみると、日本はかつてにおいてうつを作り出して、それがいまにも引きつづいている。日本は歴史において、かつてのうつがいまにも引きつづいていて、うつが消えていない。いまとかつてのいまかつて間の交通では、かつてといまの間で、うつが交通しているのだ。

 かつてのうつを忘却しないで、想起しつづけて行く。日本にはそれがいる。戦争によるうつは、短期では消えず、長期化するのがあり、ロシアによる戦争でもそれがおきることになるものだろう。とくに、ロシアの若ものの世代は、世界において(国際的に)、うつを抱えこんで生きて行かないとならなくなりそうだ。

 国がそうによることで、栄誉や名誉や美名を得ようとすると、かえって悪くはたらく。そうによっていたのが、うつに逆転してしまう。そうがうつになってしまうことには、くれぐれも気をつけて行きたい。うつを避けようとしないで、うつをしっかりとくみ入れて行き、それを見て行く。国においては、そうではなくて、うつのところがより重要だ。うつである、自国の負の歴史を重んじて行きたい。

 参照文献 『漂流者の生きかた』姜尚中(かんさんじゅん) 五木寛之法哲学入門』長尾龍一 『スター・ワーズ 星新一の名言一六〇選』江坂遊(えさかゆう) 『本当の戦争 すべての人が戦争について知っておくべき四三七の事柄』クリス・ヘッジズ 伏見威蕃(いわん)訳 『あいだ哲学者は語る どんな問いにも交通論』篠原資明(しのはらもとあき) 『歴史 / 修正主義 思考のフロンティア』高橋哲哉