国賊と、憲法―国賊だと言われる政治家と、(近代の立憲主義の)憲法の否定や破壊

 国賊にあたるような、国の政治家だった。安倍元首相についてそうした声があがっている。

 自由民主党の政治家は、安倍晋三元首相を、国賊だったと言ったという。国賊だったのが、安倍元首相だったのだろうか。

 枠組み(framework)のちがいによって、国賊だとされたりされなかったりするのが安倍元首相だ。

 日本のいまの憲法をよしとする枠組みからすれば、安倍元首相を国賊だったとするのは許容されることになる。

 憲法の改正をよしとする(改憲の)枠組みからすれば、安倍元首相を国賊だとするのは許容することができないものだ。

 改憲の枠組みによっていたのが安倍元首相であり、自民党もまたその枠組みをもつ。その自民党の内から、安倍元首相が国賊だったとする声があがったので、その発言者(政治家)に処分が下されようとしているのだ。

 どういう政治家が国賊だとされることになるのかといえば、日本のいまの憲法をこわすような政治家だ。憲法を守らない政治家である。

 どういう国のどういう政治家であったとしても、近代の立憲主義や民主主義や自由主義(liberalism)をこわして、それをとらないのであれば、国賊だと見なせる。

 立憲主義などによらないのだと、独裁者が権力をらん用してしまう。権力のらん用などがおきないようにするために、歯止めをかけるためにあるのが憲法だ。

 国家の公を肥大化させて、個人の私を押しつぶす。国家主義(nationalism)を強めて行く。国の政治家がその動きをとるのであれば、国賊に当たる。

 日本から視点を外に移してみると、いまのロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、ロシアにおける国賊だろう。それにくわえて、国際連合国連憲章をやぶっているので、国際の賊だ。

 国の権力者は、国を超える越境(trans national)のあり方をとっていないと、国賊になりやすい。国を超える越境のあり方をとっていると、その政治家は国賊になりづらい。国際の賊にもなりづらい。

 その政治家の内からであるよりも、国から出てくるものなのが、国賊だ。その地域の暴力を独占しているのが国だから、国そのものが賊のところをもつ。

 国そのものが賊のところがあるから、国家の公を肥大化させると、個人の私を押しつぶすことになり、基本の人権(fundamental human rights)が侵害されることなどがおきてくる。

 国そのものが賊のところがあるから、それを抑えるために、歯止めをかけて行く。立憲主義によるようにして、(近代の立憲主義の)憲法をしっかりと守って行く。国際法をしっかりと守って行く。政治家が国賊にならないようにするにはそうしたことをやらないとならない。

 国賊だったのであるよりは、(自分からすすんで)国賊になりに行ったのが、安倍元首相だった。すごくきびしく言えば、そう言えそうだ。国賊だと言わざるをえないような政治家のあり方に、安倍元首相はすすんでなりに行ったのがあるから、そのもとは安倍元首相の内にある。

 どこに原因の帰属(特定)を置くのかでは、安倍元首相のことを国賊だと言った自民党の政治家の内に原因を帰属させるのはふさわしいことだとはいえそうにない。そう言った自民党の政治家の内にではなくて、その外、つまり安倍元首相の内に原因を帰属させることがいる。

 独裁者の政治家がいるとすると、その政治家にたいして国賊だと言う。それについて、そう言った人の内に原因を帰属させるのがふさわしいことだとはいえそうにない。どこに原因の帰属を置くのがふさわしいのかといえば、独裁者の内に原因を帰属させるのがふさわしいのがあり、国賊だと言われることのもとは、独裁者の内にあるものだろう。

 参照文献 『憲法という希望』木村草太(そうた) 『公私 一語の辞典』溝口雄三 『ブリッジマンの技術』鎌田浩毅(ひろき) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『クリティカル進化(シンカー)論 「OL 進化論」で学ぶ思考の技法』道田泰司 宮元博章 『日本国民のための愛国の教科書』将基面貴巳(しょうぎめんたかし) 『双書 哲学塾 自由論』井上達夫