性の差別がうたがわれる政治家の発言と、憲法

 生まずして、なにが女性か。女性の外務相は、そう言ったという。

 選挙で候補者を当選させるために、外務相が応援にかけつけた。その中での発言である。(われわれ女性たちが)この候補者を生まずして、なにが女性なのか。外務相が女性であることから、この発言がなされたのである。

 女性への差別に当たる。外務相の発言は差別にあたることからとり沙汰されているけど、とくにまずい発言ではないとの見かたも投げかけられている。あくまでも比ゆとして言ったのにすぎない。ものの例えにすぎない。

 差別にあたることから、外務相の発言はよくないものだったのだろうか。

 言ったことを、あとで撤回したのが外務相である。

 書き言葉よりもより難しさがあるのが口の言葉だ。口の言葉はとっさに口から出てしまうからやり直しがきかない。自分の考えがとっさのひと言としてつい口から出てしまう。

 かりに外務相があくまでも比ゆとして言っただけなのだとしても、まったく何の問題もないとは言い切れないかもしれない。

 比ゆなのだとしても、それにおいて、何かと何かを同じものだと見立てている。女性が子どもを生むことと、候補者を当選させて生み出すことを、同じことだとなぞらえているのである。女性が子どもを生むのと、候補者を生み出すことが、等しい。

 どういうものが女性なのか。本質として女性はどういうものなのかで、外務相は、女性は子どもを生むものだとしている。この候補者を生み出すものが、女性である。

 何々ハ何々である、の形がある。ものごとの性格づけだ。当てはめである。性であれば、男性とはこうだとか、女性とはこうだといったものである。男性の本質や女性の本質だ。何々ハのあとの、何々であるのところが本質に当たるものである。

 どういうところにまずさがあったのかといえば、人について分類づけや定義づけをしてしまっているところだ。外務相は、発言の中で、人について分類づけたり定義づけたりしているのがあり、そこにまずさがある。

 女性のまとまりは、類である。女性の類についてを、こういうものであるとしたのが外務相である。女性の類の中には、すごいたくさんの人たちがいる。いろいろな人たちを含む。それらをぜんぶ一くくりにしてしまうとよくない。

 類の中には色々な人たちが含まれているのにもかかわらず、それらを一くくりにして雑なとらえ方をしたところがある。女性のことを本質化してしまった。女性は本質としてこうであるべきだとか、こうであることがいるのだとしたのが外務相だろう。

 いまの日本の憲法では、平等がよしとされている。自由がよしとされている。個人を重んじて行く。女性の中には色々な人たちがいるのだから、類としての女性の中で、色々なあり方があってよい。

 憲法をもち出してみると、まず男性と女性のあいだの階層(class)の格差を改めて行く。同じ性である女性の中においては、階層の格差がおきないようにして、色々なあり方が許されたほうが良いだろう。それぞれにちがったあり方をした個人をみんな重んじるようにして行く。

 かりの話をするとすれば、もしも外務相憲法を重んじるようにしていれば、女性への差別に当たるような発言はおきなかっただろう。女性を一般化するのではなくて、個別化することを言っていたはずだ。性によるとらえ方はあってよいけど、それとは別に、個人として重んじて行く。

 性においては、社会における平等がいる。正義である。性のあいだの階層の格差や、同じ性の中での階層の格差を改めて行く。憲法からすれば平等がよいのがあるから、性における階層の格差を改めて行くことがいる。

 政治家は憲法をもっと重んじるようにしないとならない。そうしないと差別に当たることを平気で(またはうかつに)言うことになってしまう。日本では憲法を軽んじてないがしろにしている政治家が多いから、まともな政治家が少ない。

 政治にかぎらず、いまの日本ではけっこう差別がおきているように見える。ウェブを見ていると、けっこう(ちょくちょく)差別を見かける。問題の所在には、憲法を軽んじてないがしろにしているのがある。

 政治家が憲法を軽んじてないがしろにしてしまっているから、それが政治家じしんの首をしめている。それだけではなくて、日本の中でおきている差別が改まらない。できるだけ政治家が憲法を重んじて行くようにしないと、いつまでたっても日本の中の差別が改まりそうにない。

 参照文献 『超訳 日本国憲法池上彰(いけがみあきら) 『差別原論 〈わたし〉のなかの権力とつきあう』好井裕明(よしいひろあき) 『社会階層 豊かさの中の不平等』原純輔(じゅんすけ) 盛山(せいやま)和夫 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや)