悪い大人たちを問題化する:差別や暴力の問題

 多くの子どもたちや女性たちが、パレスチナでは殺されている。

 イスラエルによってパレスチナの子どもたちや女性たちが殺されているが、その中で子どもに目を向けてみるとどういったことが見えてくるだろうか。

 大人と子どもを比べてみる。子どもよりも大人の悪さが浮かび上がってくるのがある。

 パレスチナの子どもたちは、成長して大人になったら暴力主義者(terrorist)になるかもしれない。暴力主義者になるのをあらかじめ防ぐのだとして、イスラエルパレスチナの子どもたちを殺す。子どもを殺すのを正当化している。

 どういうのが悪い人なのだろうか。悪い人とは、力をもった子どもだ。子どものような大人である。

 じっさいの子どもは力をもたない。非力である。まだ大人のような理性をもたない。善や悪の判断が十分にできないため、善悪の彼岸にある。大人におけるような罪を当てはめられないのである。

 見かけは大人だけど、中身は子どもで、力をもっているのが悪人だ。形式としては大人だけど、実質は子どもである。思想家のトマス・ホッブズ氏はそのように言う。

 たとえイスラエルの子どもであろうとも、パレスチナの子どもであろうとも、やがて成長して大人になったさいに悪人になることがある。悪い大人になることがあり、力をもった子どもになることがある。どこの国または地域の子どもでも、しょうらい悪人になることがある点では共通点をもつ。

 日本の国を見てみると、差別主義者の政治家がいる。与党である自由民主党の政治家で差別主義者がいるけど、そういう人であったとしても子どものころからそうだったのではない。小さい子どものころから差別主義者であることは基本としてない。

 思想の傾向(ideology)にまだ深くそまっていないのが子どもだ。子どもが成長していって大人になるさいに、思想の傾向にそまって行く。それで差別主義者になってしまう。

 どっぷりと思想の傾向にそまってしまっているのが、日本の差別主義者の政治家だ。悪い大人である。そういう人でも、自分がもっている思想の傾向をさしあたってわきに置いておくことができれば、子どものころにかえることができるかもしれない。まだ差別主義者ではなかったかつての子どものころに近づける見こみがある。

 大人が、子どもを見ならう。それがあっても良いものだろう。大人よりも子どものほうが優れているところがある。大人と子どもを比べてみるとそう見なすことがなりたつ。

 国は思想の傾向をもつ。国の思想の傾向の装置があり、それにからめ取られてしまう。主体がからめ取られてしまうのがあり、それによって国の思想の傾向に染まることになる。

 主体は行動者であり、客体である相手を差別してしまう。行動者である主体が差別の行動をとってしまうのである。主体が客体を表象する。心の中の像(image)を外に表現したものなのが表象だ。主体が上に立ち、下の客体を表象して行く。おとったものとして主体によって表象されてしまうのが客体だ。

 まだ国の思想の傾向の装置にそこまでからめ取られていないのが子どものころだ。未完成なありようである。実存によっている。実存が本質に先だつ。

 大人になってしまうと、本質が存在に先だってしまう。本質主義だ。本質のところには国を当てはめることがなりたつ。イスラエルであれば、イスラエルが存在に先だってしまうのである。国家主義(nationalism)だ。

 まだ子どものころであれば、実存主義のところがあって、実存が本質に先だっている。国や民族のちがいによって差別をしづらい。大人ほどには差別をしづらいのがあり、境界の線を超えることがなりたつ。

 大人は悪くて子どもは良いのだとするのはたんじゅんな分類づけになってしまいそうだ。もうちょっとふ分けしてみると、良い大人と悪い大人がいて、よい子どもと悪い子どもがある。それらのうちで、悪い大人は危ない。

 日本の政治家の中には差別主義者がいて、そうした人は悪い大人だ。イスラエルの政治家の中にも悪い大人はいるものだろう。良い大人であればよいけど、悪い大人であるのなら、子どもから学ぶことがあってよい。悪い大人と比べたら、子どものほうがましだろう。

 イスラエルパレスチナに暴力をふるっているのは、悪い大人の行ないだ。子どもを殺すことはあってはならない。悪い大人が悪さをしているのを改めることがまず重要なことだ。子どもについては、できるだけ将来において悪い大人にならないようにして行く。良い大人に成長して行けるようにして、またちゃんと子どもから大人になれるようにして行く。

 どういうのが悪い大人なのかといえば、そのじっさいの事例は日本にもイスラエルにもいる。差別主義者や暴力主義者の政治家がそうだ。子どもによくない影響を与えるような悪い大人は日本にもイスラエルにもいるから、そうした悪い大人の悪さを問題化して行く。悪い大人の悪さを改めることが先決である。

 たとえ悪い大人であったとしても、子どものころからそうだったのではなくて、まだ子どものうちは差別主義者ではなかった見こみが低くない。まだひどく小さい赤ちゃんのころから差別主義者の人はいないから、すごい悪い大人と比べたら赤ちゃんのほうがましだろう。

 大人のありようを自明なものとするのではなくて、それを異化して行く。本質化や自然化するのではなくて、脱自然化をこころみる。脱自然化するうえで、子どもをもち出す。大人のあり方を批判するために子どもをもち出してみて、悪い大人の悪さを少しでも浮きぼりにしていって、それを改められたらさいわいだ。イスラエルパレスチナでは、イスラエルパレスチナに暴力をふるうのを止めて行きたい。

 参照文献 『すっきりわかる! 超訳「哲学用語」事典』小川仁志(ひとし) 『差別原論 〈わたし〉のなかの権力とつきあう』好井裕明(よしいひろあき) 『法哲学入門』長尾龍一 『境界線の政治学杉田敦(あつし) 『構築主義とは何か』上野千鶴子編 『ポケット図解 構造主義がよ~くわかる本 人間と社会を縛る構造を解き明かす』高田明典(あきのり) 『カルチュラル・スタディーズ 思考のフロンティア』吉見俊哉(よしみしゅんや) 『砂漠の思想』安部公房(こうぼう) 『「他者」の起源(the origin of others) ノーベル賞作家のハーバード連続講演録』トニ・モリスン 荒このみ訳 『アイデンティティ(identity) / 他者性(otherness) 思考のフロンティア』細見和之(ほそみかずゆき) 『究極の思考術 あなたの論理思考力がアップする「二項対立」の視点十五』木山泰嗣(ひろつぐ) 『できる大人はこう考える』高瀬淳一 『暴力 思考のフロンティア』上野成利(なりとし) 『罪と罰を考える』渥美東洋(あつみとうよう) 『議論入門 負けないための五つの技術』香西秀信ナショナリズム 思考のフロンティア』姜尚中(かんさんじゅん) 『現代思想を読む事典』今村仁司編 『逆説思考 自分の「頭」をどう疑うか』森下伸也(しんや)